読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ナイスミドルになりたい

松本孝行が思っていること、考えたことなどを書きます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

アゴラAV出演強要問題をわかりやすくまとめる

アゴラが力を入れてAV出演強要に関しての話題を書いている。

agora-web.jp

agora-web.jp

agora-web.jp

3回に渡って書かれているが、一つ一つはかなり書かれているテーマが違うので、注意して読んで欲しい。色々反応を見ていると、言いたいことがわからないという人も多いようなので、簡単にまとめてみたい

  1. HRN等が主張するAV出演強要にはみんなの考える出演強要以外も含まれる
  2. AVの定義は?あとアングラな動画は含むの?含まないの?
  3. AV出演の契約を遡って賠償させる法律を作って過払い金訴訟の再来を狙う

とまぁこんな感じだ。このように幾つかの要素に分かれている。

AV出演強要が含む中身について

まずひとつ目のAV出演強要について、出演強要以外も含まれるというものだが、これは記事によると「違約金」や「出演をやめたい」「過去の作品を消して欲しい」などもAV出演強要に含んでいるという。

つまり言葉から想像する無理矢理出演させる・騙して出演させるということだけがAV出演強要ではないとされているのだ。ここが非常にわかりにくくさせている部分だろう。私もTwitterでAV出演強要の相談に乗っている人から激しく批判された。

重要なことはアゴラに書かれた中山さんも出演強要はあると言っている。ただ、出演強要と過去の作品を消すとか出演を途中でやめるという問題は別で考えるべきだということだ。特に違約金や出演をやめたいというものは契約ベースの問題なので、それこそ裁判で争うべき問題とも言える。

しっかり分けて考えましょうよ、というのが一つ目の論点だ。

AVというが、それはどこまで含むの?

2つ目はAVの定義だ。DMMやSODのようなところは当然含むが、じゃあ個人でやっているニッチな動画はどうだろうか?着エロはどうか?ライブチャットはどうか?など、どこまでをAVとしているのか?と問うている。

記事によると個人の動画サイトなどは含むのか含まないのかもよくわからない状況だ。もちろん出演強要が行われるのであれば、大手メーカーだろうか個人のサイトだろうが着エロだろうがグラビア撮影であっても、問題である。

おそらくこういったAV以外も含んでの話だとは思うのだが、そのあたりがわからないので整理しましょうよという主張が二つ目だ。

AV出演強要で契約違約金を取ろうと目論む

最後の三つ目は法律を作ってそこから違約金を取ろうと弁護士が考えているのではないか?という話だ。

消費者金融では29.2%のグレーゾーン金利で貸出をしていた企業、例えば武富士などが過払い金訴訟で一気に倒産した。貸し出した当初は違法ではなかったのに、後から違法だとされて、支払い義務が生じたからだ。

コレと同じようなことを狙おうとしているのではないか?と、彼女は言う。つまり推測ではあるが、法律を作って契約自体がおかしかったから違法であり、遡って賠償金を払うというような流れではないかと思われる。

私はこの部分についてはまだ半信半疑ではあるが、中山さんはここまで考えてるのでは?と書かれている。

出演強要はなくさなければならないが…

以上、簡単にまとめてみた。

出演強要自体はAVだろうがなんだろうがパワハラ強要罪に当たるわけで、社会的にやめさせる方向に持っていくのは、私もそうだし9割以上の人が賛成するだろう。

しかしAV女優すべてが強要されているわけではないのだから、分けて議論しなければならない。私もAV女優で知っている人がいるが、その人は望んで出ている。紗倉まなちゃんや川奈まり子さんなど、自分から出ている人もたくさんいる。

AV出演強要についてはもう少し冷静な議論が必要だろう。

ミスマッチエントリーを減らす方向に採用活動は動くべき

diamond.jp

今の就職活動は私が学生の頃からさほど変わっていない。そして新人も3年で辞める人が3割という傾向も変わっていない。おそらくこの傾向は今の新卒採用が変わらない限りは同じなのだろう。

しかしこのエントリにあるように、そろそろ企業も効率を求めたほうがいいかもしれない。つまり多くの人にエントリーをしてもらって、そこから選ぶという労力よりも、より自社に入社して欲しい人だけにエントリーしてもらって選ぶ、という方法に。

マッチング率向上といえばライフネット生命

もちろん中小企業にはなかなか難しいことかと思う。そもそも選べるくらいの学生が来ないのだから。だから学生が1000人も2000人もくる場合は効率化が必要ということだ。

そしてこのマッチング率を高めるという方法で、すごく参考になるのがライフネット生命だ。ライフネット生命の採用方法は一部では有名で、かなりしっかりした論述レポートを書かせるのだ。レポートが書けないほどの入社意欲であれば必要ない、ということだ。

そしてレポートという課題を課すことで、多くの人がそもそもエントリーしなくなる。だから新卒を30歳までと枠を増やしてちょうどよいのだろう。エントリー数は少ないけれども、マッチングの精度は高い方法ではなかろうか。

枯れ木も山の賑わいエントリーはいらない

そもそもなのだが、1000も2000も集めたとして、そこから採用する人は100や200位のものだろう。ということは9割以上のエントリーが落選ということになる。さてこの9割の落選エントリーだが、本当に欲しいと思える人材のエントリーはどのくらいの割合だろうか?

おそらく1割程度ではなかろうか?つまり8割程度は大量エントリーがあっても、別に企業として採用したいとも思わない、つまりまったくミスマッチなエントリーではないのだろうか?ミスマッチエントリーの割合が多ければ多いほど、企業にとっても無駄だし就活をしている学生にとっても無駄でしかない。

だから今後はマッチング率を上げることを考えるべきだろう。つまりどのような人材を求めているかを明確にし、かつどのような人材になれるかを明確にすることだ。そうすればマッチングが一気に進むだろう。

マッチングしないと思って自ら引いた学生の話

就職エントリーとは少し違うが、私はある大学で学生が主催する就職イベントに出席したことがある。現役で働いている人たちが数人集まり、一人を学生数人~十数人で囲んで話を聞くというものだ。

ここで私は商社にいたので商社の現状を話した。もちろん私がいた会社での話だが、ということだが、

  1. 女性は出世できない、役員に女性はいない
  2. 残業はある。特に東京は飲み会後に帰って仕事をするくらい
  3. 接待でクラブを回って帰ってきたら2時過ぎてて、次の日辛かったことも
  4. 接待ゴルフなんかもあって、土曜日が潰れることもある

というようにだ。

かなり本音で話したし、こういうのをOK・楽しいと思える人でなければ商社は厳しいと思っている。なのでこうやって本音で話していると一気に学生が引いていった。3回社会人に聞くチャンスがあるのに、最後には3人くらいしか私のところには来なかった(笑)

ただこれは人数が多ければいいわけではなくて、最後に来た3人はかなり商社にマッチした人材だとも言える。逆に言えば引いていった学生は無駄なエントリーを商社にしなくて良かったのではないか?とも言えるのだ。

このように人数が多くなくてもいいので、ちゃんとマッチングの可能性が高い学生を企業は呼ぶべきだし、学生もマッチングの可能性が高い企業にエントリーをするべきだろう。まぁ新卒で就職しないとダメ、という状況だと難しいのかもしれないが…

権利を行使する我々が、求められる義務とは何か

権利と義務はワンセットと言うのは間違い、ということをおっしゃっているのだと思う。私もそれはその通りだと思う。ここで言う義務と言うのは憲法で定められている「勤労、納税、教育」の義務のことだろう。三大義務を果たさないと権利主張はデキない、というわけではない。

なのでそういう意味ではこの弁護士さんとは同じと言えるのだが、権利行使は当然であるという姿勢はあまり好きではない。権利行使にはやはり憲法に定められた三大義務とは別に他の義務が存在しているのではないだろうか。

権利を得るために多くの人が犠牲になった歴史

なぜ他に義務があるのか?といえば、権利を得るために多くの人が犠牲になってきた歴史があるからだ。日本の場合は民主主義をアメリカから無理やり押し付けられたところもあるが、大正デモクラシーの例からもわかるように、様々な人が権利を得るために動いてきた歴史がある。

選挙も最近では18歳から投票できるようになったが、普通選挙が実行されるまでは男性だけ、収入が一定以上あるものでなければ投票できないなどの差別があった。女性の権利で言えば男女雇用機会均等法が制定されるまで、多くの人の努力があった。

海外であれば王政から民主政に変わる際、大量の血が流れたフランスもあれば、内紛を起こしたルワンダの歴史もある。今講師できる権利は多くの人の血と努力の結晶によって作られたと言えるだろう。

後世に権利を残し続ける義務がある

実際には権利を行使するために、義務と言うものは特にない。あるとすれば権利を行使するために行動することくらいのものだが、それともう一つ「後世に権利を引き継いで・残していく義務」はあると思う。せっかく得た権利なのだから、長く続ける様に後世に残す努力が必要だ。

もちろんそれのおかげで今でも大正時代の民法の規定が残っているなど、立法府の怠慢のようなことも起こりうる。既得権益になりうることもあるので、全体最適を考えないといけない。

しかし多くの人のプラスになる権利であれば、後世の人に残す義務はあるだろう。その努力を払うことこそ、権利を行使するための義務ではなかろうか。

政治から離れているのは就活生だけでなく個人事業・中小企業も同じ

政治家の人がなかなか若い人が政治に興味を持ってもらえなくて悲しい、というお話。まぁ働いていると「政治の話はご法度」なんて何十年も言われ続けている国なのだから、政治と学生が近くなることもまずないだろうなと思わざるをえないが。

大学生は「就活でマイナスに働く可能性があるから、政治系のアカウントはフォローしない」と言われたそうだ。政治家がすごく簡単に情報発信し、市民・県民・国民にメッセージを伝えられるSNSだが、受け取り側が拒否してしまうという。ただこれは個人事業主や中小企業でも似たようなものだ。

個人事業主・中小企業経営者同士でも政治の話はほとんどしない

学生は政治アカウントをフォローしないというが、実際問題中小企業の経営者でも個人事業主でも政治の話をしたり、政治アカウントをフォローしている人のほうが少ないだろう。私のまわりでも政治系の話をする人は個人事業主で一人、あとはNPOで市民活動系の人が一人いるくらいだ。

個人事業主同士で集まって話をしていても、政治の話なんてほとんどしない。子育てがどうかとか仕事をどうやってこなしていくかとか、そういう話がほとんどだ。政治の話なんてして盛り上がることはめったにない。

ただ青年会議所については保守寄りの講演をよくやっているので、政治的な話を聞く機会はある。聞く機会はあるけれども、政治の話を聞くだけであってみんなで政治について討論する、なんて言うことは聞いたことはない。

結局、日本に住む人たちにとって政治と言うのは遠い存在なのだ。学生だけが遠いわけじゃない、唯一政治に近いのは市民活動家位のものだろう。

政治を近くに感じるには政治の話をするしかない

学生にしても会社員にしても、そして我々個人事業主・中小企業の経営者にしても、政治はまだまだ遠い存在だ。政治の話はご法度、してはいけないと営業マンは言われているくらいなので、政治から遠くなって当然だ。

もっとビジネスの場でもそうだし、学校や大学もそうだし、日常でももう少し政治の話が簡単にできるようになること、これが政治が近くなるための道ではないか?と思う。政治の話を気軽にできる雰囲気、これが大事ではなかろうか。

おそらくだが、今はかなり政治の話をしている人は多いだろう。なぜなら北朝鮮有事が起こる可能性があるからだ。北朝鮮のミサイル問題・拉致問題・トランプ大統領やロシアの話など、危機が迫るときほど政治の話をする可能性は高いのではないか。

逆に言えば日常の平時の時に、どうやって政治に近づいてもらうか?を政治家は考えないといけないだろう。森友問題のようなワイドショー路線かもしれないし、マジメな外交問題かもしれないし、子育て・年金問題を取り上げることかもしれない。さらにティーパーティーのようなものが必要かもしれない。

やり方は色々考えないといけないにせよ、政治家が今考えるべきは「政治の話ができる空気作り」だろう。

「じゃあお前がやってみろ!」という反論はもっと広く認められていい

世の中SNSやブログがあるおかげで、一億総評論家時代になった。何かを発表したら、それに対して評価・批評・論評する人が出てくる。映画や本だけでなく、イラストであったり短いマンガであっても「ここはあーでこーで」「こんなのはダメだ」とか言われてしまうようだ。

まぁそういう評論するということ自体は全く問題ないし、むしろ色々自由に意見が言えるのは喜ばしいことだ。しかしその後に作った側・表現した側が「じゃあお前がやってみろ!」というと、「それは逃げだ」とか「甘えだ」とか「強者の論理だ」とか言われる。

個人的にはもっとこの「じゃあお前がやってみろ」という反論は広く認められていと思うのだが、どうだろうか?ちなみに考える発端になったブログはこちら。

557dg4.hatenablog.com

商社で身についた「言った人がやる」という原則

おそらく私がそのように考えるのは商社で身についた「言った人がやる」という原則が大きい。私がいた商社は結構おおらかなところで、新人でも意見を言えるようなところだった。とは言え私のように、新入社員でいきなり管理部とケンカした人も珍しいだろうが(笑)

仕事をしていれば「このやり方は非効率だ!」という場面に出会うだろう。そこで「このようにしたらどうだろうか?」と意見をすることもあるだろう。そういう時に商社では「じゃあどうしたいの?」と言われる。つまり不満があるから会社が変わるのではなく、こうした方がいいという意見があるなら自分でやりなさい、ということだ。

ちなみに私の場合は中国地方にある企業への取扱を増やすため、四国の仕入れを開拓しようと提案し、自ら四国を週2,3日回る営業担当になった。

「じゃあお前がやってみろ」と言わなければお客さんは増長する

私の仕事はウェブマーケティングだが、会社や人によってはなんだかんだと文句をつけてくる人もいる。正当な意見であればこちらも聞くが、理不尽なことを要求してくるようであれば、原則断る。つまり「わかりました、ではご自身でやってください」と言うわけだ。

人によってはそんなことを言われるとは思っていなかったために、慌てふためく人もいる。しかしそうやってこちらも理不尽な要求ははねつける事ができて、初めて対等な関係性を築くことができる。お金をもらっているから下請け・召使・奴隷ではないのだ。

そう考えると、「じゃあお前がやってみろ」という反論は持っておくべきではないだろうか。

「じゃあお前がやってみろ」には誰も反論できない?

「じゃあお前がやってみろ」という反論は使うべきじゃないと言う場合、「反論をすべて封じてしまうから」という意見がある。確かにそのように思うかもしれないが、それはまったく違う。別に反論・意見をすることは全然可能だし自由だ。

ただしそれは消費者の側からの意見だというのは押さえておくべきだ。

例えばある映画が公開されたら、いろいろな人に「クソ映画、駄作」と言われたとしよう。その時に「じゃあお前がやってみろ!」と監督が評論家に言う可能性はあるだろう。では評論家は反論できないのか?というとそうではない。

「消費者として、見る側からするとこうあったほうが良いのだ」ということは言える。「視聴側はこう感じる。だからこういう表現のほうがいいのだ」とユーザー・視聴者・消費者の側からの意見として言えるはずだ。

だからまったく反論できなくなる、なんていうことはないのだ。

意見・論評は相手へのリスペクトが必須

いろんな意見や評論をすること自体はどんどんすべきだが、その時に「じゃあお前がやってみろ!」と言われるのは、おそらくその人や作品へのリスペクトが欠けているときだろう。敬意を払わない意見・論評をされたら、制作側は怒っても仕方ない。

上記で取り上げた映画の評論に関する例も、見る側の視点から堂々と言っているものであれば問題ないが、制作側のスタンスに立った物言いをすれば、それは批判もされルシ、されても仕方ないと思う。

意見・論評するなら敬意を持つべきだ。「自分にはできないことをやっているのは尊敬すべき部分だ」という敬意を持った上で、意見すべきだろう。そうすればこのような反論をされることはだいぶ少なくなるはずだ。