ナイスミドルになりたい

松本孝行が思っていること、考えたことなどを書きます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

デザイナーは時間と労力に比例して良いクリエイティブを生み出せる!とは限らない

反論と言うか、追記のような形で新しいエントリーを頂いた。最初に読んだときは酔っ払って電車で帰ってるときだったのでちゃんと読めてなかった(笑)

toksato.hatenablog.com

正直、読んで反論する部分なんてまったくないんだけど、一応なんであの記事を書いたのか?っていう理由の部分を強調しておこうかなと思う。もうすでにタイトルで書いている通り何だけど、ウェブデザイナーとかクリエイティブを生み出す人はどこかで「エイヤ!」と勇気を出して踏み出す必要があると思うのだ。

 

t-matsumoto.hatenablog.com

サイト制作前にわかることはすべて「仮定」でしかない

ウェブサイトの制作前には確かにいろいろ調べる。ヒアリングしてどのような目的で制作するのか、どの程度の成果を求めているのか、競争相手はどんなところなのか?簡単な業界ニュースをチェックするなど。ある程度はやるが、そんなに力を入れてまではやらない。

なぜならそれは仮定でしかないからだ。つまりどんなにやったところで100%目的を達成出来るようになるサイトを作れるわけではないのだ。これは上記のブログを書かれたディレクタ-の方も「調査というのは失敗する確率を下げるためでしかない」とおっしゃっていて、同じ認識だ

サイト制作前にわかる事はすべて仮定でしかなく、それを深く広く考えれば確かに失敗の確率は減る。しかしそれを行うには時間や人数のコストもかかれば調査資料を取り寄せたりする金銭的コストもかかる。そのコストに見合った成果が出せるか?というと疑問なのだ。

だからこそコストの面から見ても、ウェブデザイナーが制作をする際に定形・テンプレートと言うのはあっていい。信頼といえば緑や青を基調としたっていいのだ。もちろんそこでよりコストをかけて他にないもの生みたいというのであれば、こういった常識や定形的な考え方を排除して考えるべきだと思う。

真心込めて丁寧に、お客様のことを考えたクリエイティブは絶対に良い者になるのか?

こういう考え方をするようになったのは、実は電通の過労死事件にも通じるところあったりする。電通では無駄な慣習がいくつかあるらしい。例えばお客さんのところに雁首揃えて複数人でいくことで「お客様に尽くしてます!」というアピールをするらしい(笑)それともう一つが納期ギリギリまで考え尽くすことで、より良いものが生まれるという信仰だ。

納期ギリギリまで考えて修正をするというのは確かにお客さんのことを考えて、より良いものを出そうとする姿勢としては悪くはないのかもしれない。しかし納期ギリギリまで考えたものが必ずしも良いものになるだろうか?加えて納期ギリギリまで考えるコストというのを考慮しているのだろうか。

どんなに頑張ってお客さんのことを考えて修正したウェブサイトであっても、実は1万5千円のテンプレートデザインのサイトのほうが成果が上がる、何ていうことだってありうる話しなのだ。ビジネスだけでなく、芸術・アートにおいてもパッと作った作品が何年もかけて作った作品よりも優れているとは限らないのだ。

いいものを作ろうと目指すのは当然だが、いいものを作るためにコストを度返しするとか、精神論で「お客様のために!」と考えていればいいものができるという思想も、個人的には危険だと思っている。

t-matsumoto.hatenablog.com

結局、良いウェブデザインって何?

で、そもそも私が上記の方に対する言及をした最初のエントリーは「ウェブデザインの良し悪しって何で決めてるの?」っていう話題だ。で、私の中でこれはもう完全に結論が決まっていて、それはクライアントの目的を達成できるサイトデザインであること、これが良いデザインだ。逆にクライアントの目的を達成できないサイトはどんなにカッコイイデザインでも悪いデザインだ。

なのでクライアントの目的を達成できるサイトを作ること、その際のデザインを担当するのがウェブデザイナーの役割であり、責任の範囲だと思っている。そこでクライアントの目的を聞き出してはっきりと定義し、デザイナーにデザインに落とし込めるレベルまで説明できるようにするのがディレクターの役割の一つかなと思う。

で、その目的を達成できるサイトを最初から100%作れるか?というと私は自信がない。マーケターでありコンサルタントなのにもかかわらずだ(笑)でも納品後に計測して改善を加えていくのであれば、かなり高い確率で目的を達成できる自信はある。これがコンサルタント・マーケターの仕事だと思う。

言及したディレクターの方も最後にこのように書かれている。

そして調査でわかりきらないところ、最後の最後、仮説を立て自分で判断する部分にこそ、クリエイターやデザイナー、ディレクターの力が問われるんだと思います。

そう、やってみなければわからないことがたくさんあるわけだ。そしてウェブサイト制作の現場ではコストや納期、お客さんのこだわりなど多岐にわたる制約がある。それらのバランスを見た上でデザイナーはクリエイティブを発揮してくれたらいいと思う。条件が次第では「信頼感・安心感のために青・緑を使いました」と言ってもいいのではないかと思うのだ。

まぁ実際の仕事では様々なバリエーションがあるので、バランスのとり方は難しい。でも確実な事実もある。それは最初に制作するは仮説に基づくので、100%のサイトを作ることなんてできないということ。そして制作後は計測・改善によってサイトは目的を達成できるサイトに近づけることができるということだ。

日本の各政党をマーケティング的に考えてみる

bunshun.jp

やまもといちろうさんの記事が上がった。野党、日本のリベラルが支持されないのはマーケティングの失敗なんじゃないの?という話だ。

これは政治闘争の巧拙というよりはマーケティング上の問題であって、「野党」という商品には好み(プレファレンス)になる人が少ない、ということに他ならないのです。投票先に悩んでまあ自民党でいいかと投票したような人たちが、左派の議論に膝を打ち「なるほど、自民党よりも良い政治を野党はやってくれそうだね」という同調を引き出すのに必要な議論は別のところにあります。

私も一応マーケティングをかじっている端くれなので、ちょっと今の与野党政党政治について、マーケティング的にまとめてみようと思う。

コトラーの競争地位戦略からまとめてみる

まず簡単にコトラーが提唱している競争地位戦略からまとめてみよう。これは「リーダー」「チャレンジャー」「フォロワー」「ニッチャー」と、マーケットシェアから4つに分類するという手法だ。下記、野村総研のサイトを参考にして欲しい。

www.nri.com

先ず一番わかりやすい「リーダー」。これは自民党だ。圧倒的に議席数を持っている。そしてリーダーの後をついていくという戦略を取る「フォロワー」は公明党だろう。この自民党公明党の戦略は大変わかりやすい。

で、野党としてはリーダーの座を狙うために「チャレンジャー」でなければならない。しかしコトラーは競争地位戦略でチャレンジャーをこのように定義している。

業界で2、3番手に位置づく大企業で、リーダーに挑戦しトップを狙う企業です。市場戦略による利益への影響を分析するPIMS研究によると、一般にシェアが高まると収益性が高まることがわかっています。そのため、攻撃対象を明確にし、競合他社の弱点をつくなどしてシェアを高めることを戦略目標とします。

このように定義されている。攻撃対象を明確にするという意味では自民党を攻撃対象に明確化している。が、その後だ。競合他社の弱点をつくなどしてシェアを高める(=議席数を増やす)必要があるのだが、それができていない。

チャレンジャーは主にリーダーと比較した差別化戦略を取らなければならない。簡単に言えば「自民党はこう、でも野党はこうなんです」と言えないといけないわけだ。現在森友・加計問題で攻撃をしている野党だが、それは差別化戦略ではない。「野党だったらこうする」ともっと主張しなければならない。

例えて言うならば、清涼飲料水業界でサントリーコカ・コーラに対して「コーラは体に悪いからダメ!」とか「爽健美茶は美味しくない!」と言っているだけだ。たとえそんな攻撃をサントリーがしていたとして、みんなサントリーの商品を買いたいと思うようになるだろうか?

民主党がブームになって政権を奪取した際はこの差別化が非常に上手にできていた。なぜならあのときには「官僚政治の打破」や「しがらみからの脱却」など、はっきりとした差別化戦略があった。しかし結局、政権を取ってからそれらができないことがわかって、自民党に政権を明け渡すことになったが。

おそらくこの時の経験も大きく影響しているのかもしれない。昔は官僚政治の打破やしがらみを政権交代で断ち切れるとピュアに思っていたのかもしれない。それは国民も同じだった。しかし実際にやってみたら、そんなことはできなかったわけだ。この経験があるから、今までのようなスローガンを掲げる事ができないのだろう。

自民党のニッチャーになりつつある野党

野党の姿勢を見ていると、どうも最近は本気で政権交代を目指しているようには思えない。本当に政権交代をするのであれば、自民党議席数をどのように削って自党に持ってくるのか、その差別化戦略が欠かせない。しかしそのような差別化戦略があるようには見えない。

おそらく今この政党状況を見れば、野党はチャレンジャーですらないように思う。フォロワーでもなく、単にニッチャーになっているのではないか?そう思えてしまう。ニッチな層、一部の層に受けることを主張し、一部の層からの支持を取り付けて議席を少数ながら守ろうとしているのではなかろうか。

それがわかりやすいのが社民党だ。社民党は明らかに政権を取りに行く気はない。政党要件を満たすだけの議席をとればそれでいい、一部の人に支持されたらいいというような振る舞いをしている。マーケティング的には大変正しいニッチャーのあり方だと思う。だからこそ、今もしぶとく数議席を確保できているのだろう。

民進党や希望の党など議席数はそれなりにある政党も、振る舞いを見る限りでは社民党とまったく変わらない戦略をとっているように見える。チャレンジャーとしてのふるまいよりもニッチャーとして一部の支持を取り付けようとしているようにしか見えないのだ。

チャレンジャーとしての差別化戦略

チャレンジャーとして、政権交代を再度目指そうというのであれば、立憲民主党を筆頭とした野党はどのようなマーケティング戦略を取るべきなのだろうか。

それを考えるためのスキームとして「4P」から考えると良いかもしれない。

4Pは有名なマーケティングミックスと言われる具体的な施策を考えるツールだ。product(商品)、price(価格)、place(流通)、promotion(宣伝)の4点を分析し、戦略を考えるのだ。政治をそのまま置き換えることは難しいが

  • 商品⇒政策
  • 価格⇒政策を実行する際の国民が負担するコスト
  • 流通⇒政策の実行力
  • 宣伝⇒テレビ・ネットなどでの宣伝方法

に置き換えてみるといいだろう。これらの項目で野党がどのような状況なのか、自民党と差別化できているか?を考えるのが良いだろう。

宣伝という意味では野党は自民党とほとんど変わりはない。政策の実行力では明らかに負けているし、民主党時代の記憶が国民に多く残っている。残るは政策と国民負担の2つだが、この2つで野党が自民党を上回る状況であれば、政権交代も可能になろう。

ただ残念ながら政策は「反自民・反安倍」しかない。国民負担についてもはっきりと負担を軽くする方法を政策にできていないのではなかろうか。つまり国民に上手に野党が政策を公表デキていないし、制作におけるコストも曖昧でよくわからない状態なのだ。こんな状態では野党が勝てなくても当然だろう。

本当にチャレンジャーとして自民党を追い落とし、政権交代を実現したいと思うなら、チャレンジャーらしくあるべきではなかろうか。

山尾志桜里さんが議員辞職した場合、あなたは次回選挙で彼女に投票するか?

ガソリンをたくさん使ってたとかコーヒーをたくさん飲んでたとか、政治資金を適切に使っているか?ということで問題視された山尾志桜里議員。直近では弁護士との不倫で世間を騒がせた。しかし先日行われた解散総選挙では僅差で議席を確保することになった。

個人的には彼女の不倫というのは不倫のマナーを守っていないと思うので、まったく支持できない。他人が不倫や浮気をしようがほぼ気にしない私だが、今回はルール違反ということもあって、山尾氏については不支持という姿勢が明確になった。

t-matsumoto.hatenablog.com

ただ、先日アゴラに八幡さんが書かれた下記の記事を見てハッとした。なぜここまで批判が大きかったにも関わらず、強行して選挙を戦ったのか?これは日本の空気、つまり我々国民一人ひとりにも大きな責任があるのではないか?ということを感じたのだ

agora-web.jp

日本は再チャレンジを許す社会ですか?

上記で紹介した八幡さんが書かれたアゴラの記事を少し引用してみる。八幡さんはこのように書かれている。

それにしても、女性議員のスキャンダルは男性より目立つ。男性優位の社会のなかで、ガラスの天井を破ろうとしたら、このくらい強気で押し通せる女性でないとやっていけないということかもしれない。

山尾氏に関しては悪質であると批判しているが、最後に女性議員ならではの理由があるのかもしれない、と書かれている。たしかに女性議員が少なく、男性の不倫よりも女性の不倫のほうがなぜか大きく取り上げられるという日本特有の空気も大きな理由だと思う。

このようなスキャンダルや失敗を起こした場合、王道はやはりそのまま謝罪・議員辞職だと思う。謝罪して議員辞職し、2~3年ほど地元活動に従事し禊を済ませたのち、再度国政に挑戦するというのが最も筋の通った方法だと思う。

ただ、この方法で禊を済ませたのち、これを読んでいるあなたは山尾氏に投票するだろうか?選挙期間中、ネガティブキャンペーンが行われ、不倫をした人だなんだと騒がれるだろう。それでもしっかり禊を済ませたから再チャレンジを応援しようと思うだろうか?

おそらく、再チャレンジを応援しようという人はそこまで多くないのではなかろうか。2~3年したらテレビにも出なくなってそのまま忘れ去られることのほうが多いのではなかろうか。それに昔のことが気になって、投票できないという人も多いのではないかと思う。

「無理が通れば道理が引っ込む」のは我々が生む空気かもしれない

もちろん思想信条や政策が違うから投票しないという人もいるだろう。しかし多くの有権者は政策はもとより、その候補者の人となりを見て投票する。本来であれば王道である禊を済ませるという方法が選ばれるべきだが、王道を選んで損をするのであれば、山尾氏のように無理を通す人が出てきてもおかしくはないと思う。

つまり我々一人ひとりがこういった無理を通す人を生んでいるのではないか?ということだ。ちゃんと再チャレンジを評価する、失敗しても立ち直る人を応援するという姿勢をとるのであれば、こういった無理を通すこともなかったかもしれない。八幡さんの記事を読んで、そう感じた。

ただ、成功事例としては辻元議員の事例もある。まったくダメなわけではないだろうがあくまでマイノリティだと思う。今、スキャンダルやマスコミによる批判で辞任・辞職した人たちがもう一度再チャレンジできる世の中になっているだろうか?

猪瀬元都知事・舛添前都知事・宮崎元議員・豊田元議員…こういった方々が再チャレンジを目指せる社会であるか?非常に疑問だ。我々は我々自身が再チャレンジを阻んでいるのではないだろうか。

Webデザインって何を根拠に「こっちの方がいい!」って言ってるの?

ウェブサイト制作はうちもちょこちょこやってるのだが、まぁ一般的な制作レベルであって、別に高いレベルにあると自分では思っていない。もちろん高いレベルのものを作って欲しいというのであれば、それなりの予算を貰えればトップレベルの人員を並べて作ることもできる。もちろん、俺の分かる範囲でのトップレベルだけど(笑)

それで下記のようなブログが上がっていて、ふんふんと思いつつ読んでいた。信頼感や安心感というキーワードでとりあえず緑や青を使う、というような安易な答えを求めるのはデザイナーとしてダメっていう内容だ。

toksato.hatenablog.com

なるほど、その通りだと思う。ちゃんと考えた上での結論か、とりあえず信頼・安心感といえば緑・青だろうと安直に考えての提案か、雲泥の差があると思う。しかしここで疑問なのがデザイナーと言うのはどうやって「コチラの方がいい」と言うのだろうか?

数字などの根拠に基づいて、いいと言ってるの?

私は仕事柄、数字をよく扱うことがあるので、数字を根拠に「これがいい」「あっちの方がいい」ということはよくある。そして実際に運用してみたところ、仮説と違うことも度々ある。「こっちのほうが実際の数字はいいんだな」と言う仮説を覆す事が起これば、そちらに乗り換える。そしてこういったことは多々ある。

なので私はまずはテストマーケティングを行い、方向性を決める。その後効果的なキーワードや広告に注力していくという方法をメインにとっている。結果の数字を見て、一番効果のあるものを選んでいるわけだ。まぁ最近ではこういったものをAIでやってくれるアドネットワークもある(Crimtan | クリムタン データドリブンマーケティング |)。

さて、マーケター・コンサルタントである私にとっては数字という根拠があるのだが、ウェブデザイナーは一体どういったものを根拠に「こっちのサイトの方がいい」とか「あっちのサイトの方がいい」と言っているのだろうか?

野生の勘か?それともセンスか?流行りなのか?もしくはしっかりとみんなテストマーケティングを行った上でウェブサイトを作っているのだろうか。

実際の現場ではそんな何種類ものサイトを作って、テストマーケティングを行うなんて言うことはできないだろう。一つのサイトを仮説に基づいて制作し、その後納品して終わりと言ったところではなかろうか。アナリティクスなどを使ってうまく運用できているか?を監視し、再度提案するという製作会社はそんなに多くないのではなかろうか。

そもそもクライアント企業がそんなお金を出せるところばかりではないだろう。なので結局は仮説に基づいて制作したウェブサイトを納品して終わり、これが一番多いのではなかろうか。であれば、その検証されないままの仮説はどういった根拠に基づいて作られているのだろうか?

ウェブデザイナーにどこまで求めるか

こういうことは弊社のウェブサイト制作でもよくあることなのだが、弊社としてはいち早く制作してしまうことを推奨している。そしてその後にアクセス解析などを通して、さらに修正を加えていくというパターンが最も効率的だと思うので、そちらを提案する。もちろんコストがかかるので、なかなか難しいのだが。

で、こういった仮説検証を繰り返して修正をしていくことをウェブデザイナーに求めるのは酷だと思う。ウェブディレクターでも厳しいと思う。コンサルタントやマーケターがやっていくことだと思うのだ。

だからウェブデザイナーが一番無難な安心・信頼の青や緑を選んで制作することは何も間違ったことではないと思う。上記で紹介したブログではクライアントに自分ならこのように説明する、ということを書いている。至極まっとうな内容ではあるが、じゃあその仮設は100%正しいのか?そんなことは絶対にない。

ではその仮設が間違っていた時、無償でデザイン修正するのか?というとそんなウェブサイト制作会社は聞いたことが無い。であれば、やはりウェブサイトデザインをするデザイナー・ディレクターに対し、あまり多くを求めるのは間違っていると思う。彼らは最も確率が高い根拠のある仮説に基づいて制作をするまでがメインの仕事だ。

そして本当に良い成果を出す、問い合わせを増やす・売上を上げると言ったことをウェブサイトから行うのは、ウェブデザイナーでもウェブディレクターでもない。やはりコンサルタントでありマーケターの仕事だと思うのだ。もちろん兼用するデザイナーがいてもいいのだが、それを全デザイナーに当たり前に備えてもらうのはなかなか難しいだろう。

発達障害を努力で克服しろ!という人より、障害者は何もできないと決めつけている人のほうが多い印象

togetter.com

障害に関するお話というのはTwitterでも結構多い。今回のTogetterの話題も発達障害に関するものだった。内容としては発達障害と言うのは本人が怠けている、努力すれば治ると思っている人が世間にも多く、支援に携わる教師にも多い」というつぶやきだった。

確かにそういう人はいる。手足の欠損のようなわかりやすいものではないので、単にサボっているとか怠けている、本人の努力不足のように思われることが多いのが発達障害の特徴だ。だからこそ「努力すれば治るんだ!」と言う人がたくさん出てくるわけだ。

発達障害は克服できる部分も多い

こういった「怠けている・努力不足だ」という声に対して「そういうものじゃない」「努力しても治らない」「脳の障害なのだ」というつぶやきがまとめられている。実際これは間違いではないのだが、半分間違いとも言える。

そもそも発達障害というのは定義の範囲が広い。ADHDASD・LDの3つを合わせて発達障害と定義されているが、例えば広汎性発達障害という発達障害はいろいろな特徴を併せ持ち、ハッキリと何らかの形に当てはめる事はできないものだ。

定義の幅が広い発達障害だが、克服できる部分も多い。例えば定型発達と言われる「何歳にだいたいこのようなことを理解して、こんなことができる」というものがある。計算であれば四則演算は小学生の低学年でできるようになるだろう。コミュニケーションの方法も幼稚園から小学生で学ぶ。

しかしそれらの成長が遅い発達障害の人たちもいる。彼らは一生治らないわけではなく、単に発達が遅いだけで、数年経てば追いついてくる事が多い。コミュニケーションができなかった子も、20歳を超えると立派に周りと変わらなくなったりする。

またADHDは服薬することで症状が劇的に改善することが知られている。ADHDについてはずっと薬を飲み続ける必要があるにせよ、まったく健常者と変わらず生活することもできるようになった。

まぁ私が痛風の薬を毎日飲まないと、劇的に尿酸値が上がるのと同じようなものだ。薬のおかげで生きることができる人は多いのだ。

障害者は何も出来ないという決めつけのほうが横行していないか?

障害と名前がついているだけ会って、もちろん治らない・克服できない部分も多い。そういうところは「自分はこういう特性なのだ」と理解することが非常に大事だ。理解し、克服するのではなく上手に付き合っていくことで健常者と同じように生活することができる。

上手に付き合う方法を訓練で学べば、発達障害を持ちながらも豊かな生活を送ることは可能だ。

個人的に今回のTogetterのまとめを見て思ったのは「障害を持つ人に努力しろ!」という人よりも、福祉業界も世間も「障害者は何もできない」と決めつけて、一般社会と隔離しようとしている人のほうが多いのではないか?ということだ。

実際私も就労支援をチョコチョコ手伝っているわけだが、最初に聞いた話がまさにそういうことだった。「障害を持っているんだから、清掃しかできない」と決めつけ、他の選択肢を選ばせない、そんなことが当たり前の世界だった。努力をすることすら、させてもらえなかったように感じた。

まぁ就労の場面と教育の場面では少し違うのかもしれないが、少なくとも就労に当たっては「これしかできない」と決めつけている人のほうが多いのではなかろうか。

できることできないことは誰にでもある

発達障害に限らず、誰にだって得意不得意というのはある。どんなに努力してもうまくならないことはある。それをまず認めることから始めるべきだろう。

例えば私は美術に関してはてんでダメで、練習してもうまくなる余地が全然ない。絵を書いたりデザインをするのは本当に下手くそだ。発達障害でなくても、このようにできる・できないを持つのは当然のことではなかろうか。

であれば発達障害を持っていたとしても、その他障害を持っていたとしても、できることできないことは人それぞれあるものだ。その人のできることにフォーカスすべきだ。そしてその人のできることに集中して取り組んでもらえる環境を日本全体で作っていくべきだろう。

できないことをあげつらうことなど、何の生産性もない。もっとみんなが豊かに・幸せになるためにポジティブな視点を持つ必要があるのではなかろうか。