ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

酒もタバコもランニングもリストカットもすべて同じ

bunshun.jp

身体的な健康に悪いけれども酒もタバコもやめられないっていう人は多い。タバコはしないけれども、酒については飲むのでよくわかる。

とは言え依存症というほどではないので、酒については飲まないときは飲まない。例えば明日の朝が早い・大事なイベントがあるなどのときは飲まないし、夜に集中して作業したいときにも飲まない。また連日飲み会が続いたりしたら、1~2日は飲まない。今は結石が降りてきているので、痛むときは飲まない。

毎日飲まないとやってられないとか、数時間ですらタバコをやめられないという人は依存症だとは思うが、そうではない人も習慣的にやめられないことは多い。ただ、これは人間の性ではないかと思う。

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リストカットとランニングは同じ

やめられないということであれば、アンダーグラウンドな話としてリストカットがある。私も全く理解出来ないが、リストカットをすると安心するという人は多い。女性に多い傾向があるように思うが、脳内では落ち着けるような脳内物質が出ているとのこと。だから落ち着くしやめられない。

www.urraca.jp

またランニングも「ランナーズハイ」という言葉を聞いたことがある人も多いように、走り続けていると苦しさがなくなる瞬間がある。脳内物質が出まくって、疲れを感じないようになるわけだ。これも本質的にはリストカットと似たようなもんだろう。「ランニングをして気持ちがいい」と「リストカットでスッキリする」は脳の動きで言えば似ているようだ。

ちなみにランニングも体にいいのか?といえば良くはない。運動として激しすぎるからだ。だからランニングよりもウォーキングが推奨される。体に良くないという意味ではリストカットもランニングも一緒だ。

タバコも酒も安心を求めている

そして酒もタバコも同じように安心するとかスッキリするとか気分が良くなるとか、そういったことのために行っている。決して健康に良いと思ってやっているわけではない。バーテンダーというマンガには「酒は魂を癒やしてくれる」と紹介されるが、まさにそのような効果を求めている。

健康のために良いことをするというのは確かに身体にとってはいい。身体にとってはいいが、じゃあ魂にとってはいいのか?というとそうではない。たいていあまり美味しくない物を食べないといけないし、適度な運動も必要だ。そして睡眠時間も取らないといけない。

健康のために、身体のためにいいことが必ずしも自分の安心や魂の癒やしにつながるわけではない。ここが人間社会の矛盾点であり、面白い部分でもあるのかなとも思う。健康に良いものを全員が魂の癒やしと感じられるなら、矛盾はなかったのだが人間社会はそううまく行かないようだ。

おそらく隊長はストレスや不安と言ったものが昔に比べて減ったのだろう。そして安心やストレス発散ができる別の物ができたのだろう。たぶん結婚して家族ができたことが大きいのではないか?と感じた。だからウォッカ1本空けることもなくなったのだと思う。

ちなみに俺も明日のためにとか、連続して飲み会が続いたときは飲まないなど、酒を飲まない。それはおそらく「明日の仕事が自分の人生にとって大事」であるとか「明日恋人と遊ぶから、そのために元気でいよう」とかそういう酒やタバコで得られる安心よりも大事なものがあるからではないかと思っている。

人間、健康だけで生きられるものではない。健康を損ねてでも安心や生きがいと言ったものを見つけたいのが人間だと思う。だから酒や煙草、リストカットなど一般的に身体に悪いものの代わりに、安心や生きがいをもっと若い頃に見つけられるようにしておく教育が必要なのかもしれない。

レイトタックルが3回続けて起こるのは指示がなければありえない

アメフトが今、危機的状況に陥っている。日本アメフトが盛り上がるかそれともマイナー競技として十数年続くのか、その分かれ道に来ている。いわゆる日大が関学のQBにレイトタックルを行った問題だ。なんとこのタックルについて、監督は指示をしていないという。

監督・コーチが指示をしていないとなると、選手個人が自分自身で行ったことになるが、明らかにこの説明は論理的に矛盾しているのだ。

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勝つことが目標なら論理矛盾する説明

なぜ「反則行為を指示したこと無い」という説明が論理矛盾しているのか?というと、日大も関学も、試合に勝つために全力を尽くしているわけだ。全力で試合を行っていて、1人のプレーヤーが勝手に自分の判断で反則をした。そして15ヤード罰退のペナルティをとられた。

アメフトは極端に言えば10ヤードずつ進んでいく競技だ。4回の攻撃で10ヤード以上進むことができれば、また攻撃をすることができる。それを何度も繰り返し、タッチダウンもしくはキックでゴールを狙う。それで点数を重ねていくわけだ。4回攻撃して10ヤード進めないことなんてよくあるのだが、10ヤード進ませなければ攻撃権が交代する。

つまりこの10ヤードというのはアメフトでは大変大きいのだ。相手チームを有利にするわけだから、このような反則を繰り返していたら勝てるわけない。大学アメフトではペナルティにおける罰退は15ヤードが最大だ。つまりそれだけ自軍が不利になることを行ったのだ。それも3回も。

もし試合に勝つことが目的なら15ヤード罰退などしていたら勝てないのだから、ヘッドコーチやディフェンスコーチからは厳しい叱責を受ける。他の選手と交代させることだってあり得る。しかし日大チームはそれをしなかった。そしてその行為を3回も見逃したのだ。

  1. 監督・コーチが指示をしていない
  2. プレイヤーが勝手に判断して行い
  3. ペナルティが3回も続いた
  4. そしてそれを黙認した

本当に勝利を目指しているのであれば、こんなこと論理的にありえないとわかるだろう。

QBに怪我させることが目的なら論理的

ただそれでも「勝つために我々は努力してきた」と日大が言うのであれば、一つだけ論理的な説明が成り立つ部分がある。それが「QBに怪我をさせること」という目的のために、何度もレイトタックルをして黙認したという考え方だ。

QBはアメフトの要であり、QB次第で大きくチームの強さが変わる。NFLではブレイディという最強のQBがいたことでペイトリオッツはすごく強かった。もしブレイディでなければ、ペイトリオッツはさほど目立つチームにはならなかったと思う。そのくらい重要なポジションなのだ。

なのでスタメンのQBを怪我させることで、控えのQBを出させる。そうすればチーム力が大きく落ちるので、15ヤード罰退だとかラインバッカー1人退場でも、十分お釣りが来ると考えていたのではないか?ということだ。これなら論理的な辻褄が合うのだ。

結局いろいろとスポーツ新聞から漏れ聞こえる話では、全く納得の行く説明ではない。論理的矛盾が発生するのだ。

このままでは、日大とはどのチームも試合をしてくれないだろう。日大アメフト選手がかわいそうである。監督・コーチなど責任者はこの状況を早急に改善すべき義務がある。

世代間の問題と個人間の問題はまた別の問題

togetter.com

ネトウヨと呼ばれる方々、そして保守的な人たちに人気のある高須さんが炎上した。高須院長が若者に「甘ったれるな!私たちの時代は~」とツイートしたことがきっかけだった。正直この辺は保守・リベラル関係なく年齢が高い人、団塊世代以降の人は似た考え方をしているんだろう。

この問題は基本的に世代間格差の問題と個人の問題をごちゃごちゃにしているため、ややこしくなっている。

世代間問題では若者は割りを食っている

まず事実として世代間格差の問題はある。例えば受益と負担について、どの程度の格差があるかを見てみると、60歳以上の世代はプラスだが40代以下はマイナスだ。高齢の人たちが受益者であり、若者が負担者となっているのは紛れもない事実だ。

www.huffingtonpost.jp

もうこれだけを見ても、高齢者世帯と若者の間に大きな格差がある。そのため「私が若い頃は~」という話をしても若者は反発して当たり前だ。あなたの時代と今は違うんだ、と言われてしまうしその反論は至極全うだからだ。

世代内でも格差がある

さらに世代の中にも格差というのは存在する。高須院長の世代でも高須院長はかなりの所得を得ている。平均の数十倍を超えるだろう。一方でホームレスになってしまった人もいれば、施設に入って生活保護という人もいる。生活保護を受給している51%は65歳以上の世帯であるという報道もあるくらいだ。

mainichi.jp

生活保護をもらっている世帯の方々も、頑張ってきた人は多いだろう。しかし今は生活保護をもらう状況になっている。結果的にモーレツに若い頃働いたからといって、確実に高須院長のようになるということはない。

世代間格差もあれば、世代内格差もあるのだ。

世代の話なら間違い、個人の話なら正しい

今回の炎上は世代間での話と個人間での話をごっちゃにしているために、ややこしくなっている。高須院長は「甘ったれるな若者!」と特定の若い人ではなく、若者全体に対して語りかけている。つまり若者世代にもっとがむしゃらに働けと言っているのだ。そうすればいつかはリッチになれると。

これは若者世代全体に言ってしまうと反発されても無理はない。なぜなら上記で紹介したように、若い世代は高齢者を支えるための社会保障に多くのお金を取られている。高須院長は高齢者世代にくくられるわけで、受益が多い世代から負担が多い世代に説教されて気持ちがいい若者はいない。

逆に個人での話ならまったく高須院長の言うことが正しい。裕福になりたいならがむしゃらに努力をすべきだし、必死になるべきだ。必死で働かずに上からお金が降ってくるのを待つのは、意味がないことである。なので「裕福になりたいんです」という個人に対する説教なら正しいのだ。

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がむしゃらに働いて未来はあるのか

今回の始まりは「若者がお金を使わないのは使えるお金が少ないから。経済は停滞し、少ない給与から家賃や水光熱費、奨学金の返済、年金を支払って、どうやって車を買ったり旅行をしたりしろというのか?」という問題提起だ。若者は給与が少ないが、支払うものは多いという現実を表明した投書から発している。

であれば、この話はどちらかというと個人の話というよりも世代間の話だ。この投書をした彼も「お金を使いたい!お金が欲しい!もっと旅行も行きたいし車も欲しい!」という意見ではないだろう。素直に文意を読めば「我々若者は自由にできるお金が無いということを年齢の高い人達も知ってほしい」ということなんだと思う。裕福になりたいとも言ってはいない、理解してほしいがメインだ。

高須院長の言うことも最もではあるが、それは成り上がりたいという個人に対して言うには正しいだろう。ただ、今20代30代ががむしゃらに働いて、裕福になれるのか?という疑問もあるがむしゃらに働けば全員が豊かになれる時代だろうか?今日より明日が経済成長していた時代ではなく、経済停滞している時代である。

もちろんまったく働かない、サボるという話ではない。高須院長が経験したように働けば、今の高須院長のようになれる人がたくさん出てくる可能性もある。とは言え、少なくとも私を含めて多くの若者はそうなれるという希望を持てない状況だ。がむしゃらに努力した先に希望を持てない中でも、がむしゃらに働くべきなのだろうか?

私個人の答えとしては、お金がない中でも楽しむというのも一つの方法だと思う。下記ホリエモンが言うように自分のしたいことをお金があろうとなかろうと、やればいいというのが正しいとも思う。

r25.jp

もちろん大金持ちになりたいなら、大金持ちになるためにがむしゃらに働くこともいいだろう。それも一つの選択肢だ。

今回は高須院長が「がむしゃらに働け!」と言っているが、逆にがむしゃらに働いてきたけれども生活保護になっているという人の話も聞いてみたい。彼らは若者にどういう言葉を投げかけるのだろうか。

支払いはすべて半自動レジにしてほしい理由

なぜそんなに500円玉を渡そうとしないのか、よくわからない意地を貼っている若い女性だが、まぁ正直人間が行動をするといろいろな感情が湧き上がる。喜怒哀楽あるので、そこでこういった500円玉を渡さないとか小銭を文鎮代わりにしてレシートを手のひらに置かれるのがイヤとか、いろいろある。

そこでぜひスーパーもコンビニも飲食店もやってほしいなと思うのが支払いだけ自動の半自動レジだ。私が使う駅の近くのあるスーパーや天王寺にあったスーパーも、この半自動だったが、大変良かった。ぜひすべての支払いを半自動レジにしてほしい。

半自動レジで小銭が最適化される

私が使っている中で感じる半自動レジのメリットの一つは小銭問題だ。それこそまさしく600円の会計に1100円を支払うというものだ。たまに611円の金額のときに1155円支払う事がある。これはこちらの財布に50円玉と5円玉しか無く、10円玉と1円玉がないからだ。

この状態で単純に1000円で支払うと、5円玉が2枚・50円玉が2枚になってしまう。これを避けたいがためにこちらは50円や5円で10円・1円の端数を支払っているのだ。ただ、これは俺のルールであって、店員さんに伝わらないことはよくある。

そこで半自動レジだ。半自動レジはそんなところで疑問を持ったりはしない。粛々と入金された金額と支払額を差し引き、最適なお釣りを出してくれる。極端な話を言えば、財布に入っている小銭を全部入れていいのだ、何も考えずに。そうすれば機械が勝手に判断してくれる。

これはご老人にも優しい。よくスーパーで見かけるのはご老人が小銭を払おうとしているのだが、小銭がよく見えないのか計算が苦手なのか「ここからとって」と店員さんに財布の中を見せて頼んだりすることだ。もしくはめんどくさいからと1000円札や5000円札で支払って、結局小銭がたまるというパターンだ。

こういうご老人も今後半自動レジになればすべての小銭を適当に全部投入してしまえばいいだけだ。で、足りなければお札を入れたらいい。何も考えなくていいのですごく楽だし、小銭も少なくなって軽くなる。おじいさん・おばあさんもやり方さえ覚えればすごくメリットが大きい。

半自動レジは衛生面にも良い

もう一つ、いいなと思うのは飲食店だ。飲食店ではレジでお金を受け渡しする仕事と調理をする仕事を1人でやらないといけないこともある。その場合、お金をつかめば手洗い・消毒が必要になり、何度も手洗い・消毒をしなければならない。

昔私もおにぎり屋でバイトしていたことがあるが、おにぎりを握ってはお金を取扱うということを繰り返していた。しかしこれが半自動レジになれば、お金を店員側が触ることがなくなる。つまり調理だけに集中することができるのだ。調理して後の支払いはすべて半自動レジに任せれば、衛生面も大変プラスになる。

 

このように半自動レジにはメリットが大きい。ただ、レジ以上に故障が多いらしいので、故障対応のスタッフや修理・メンテナンスの研修や外注企業との契約が必要になるだろう。ただ、それを差し引いてでも半自動レジのメリットは大きい。

ぜひ今後はコンビニ・スーパー・飲食店、全てで半自動レジを導入してほしい。

財務省・テレ朝セクハラ騒動でなぜ女性記者を擁護する意見が毛嫌いされているか

まだまだ続くみたいやねこの騒動は。個人的にも大問題だと思ってて、それはセクハラかどうかっていうよりも、報道というものが変化せざるを得ない問題だと思うからだ。もっと言えば報道が変われば我々の知る権利やプライバシー権などが変わってくる。我々一般人の基本的権利に関わるから大問題だと思っている。

しかし今回の事件をセクハラの観点絡みている人たち、例えば野党の面々であるとかリベラルだと言われている人たちだとかの意見というのは、ネット上でかなり毛嫌いされている。セクハラ問題ということで女性の論者のほうが多いように思う。

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一般的なセクハラ問題ではない

まず前提として押さえておかないといけないのは、今回の騒動は一般的なセクハラ事件とはだいぶ毛色が違うということだ

一般的なセクハラであれば、工場長のおじさんが若い20代女性事務員のお尻を事あるごとに触る、「結婚はまだか?」「昨日は彼氏とヤッたのか?」などと聞いてきたりするような事例だ。

今回の件の違うところというのは下記のようなものか。

  • 自ら女性は足を運んでいること
  • 上司にもセクハラ被害を訴えていること
  • セクハラ被害を訴えてはいるが、配置転換や対策を望んでいないこと
  • 報道という特権・権力を持つマスコミであること

というように、一般人が遭遇するセクハラ問題とは全く違う。だからこれを一般論のセクハラ問題として語ること自体が間違いであり、納得できなくなるわけだ。一般人ではありえないシチュエーションなわけだから。

想像とファクトを分けて考えるべき

もう一つ大きな問題があるとしたら、みんな想像を自分勝手に働かせ過ぎだということだ。例えば下記ダイヤモンドの記事ではこのようなことが書かれている。

diamond.jp

レイプ事件でもセクハラ事件でも、被害者の心はデリケートだ。被害の状況を誰かに語ることは非常に苦しくて重い。僕もレイプ被害に遭った女性の話を聞いたことがあるが、その女性はその時のことを思い出しながら話すので、あまりに感情が高ぶり、ワンワン大泣きしてしまい、途中でなにを言っているかわからなくなることが何度もあった。それぐらい、被害の話をする時は感情が乱れる。被害者が被害のことを誰かに話すということは、それほどまでに大変なことなのだ。

というようにセクハラにあったという女性記者の心がまるでPTSDになってしまったかのように、勝手に想像して心配している。女性に優しくするのは悪いことではないが、事実に基づいて考えなければ、間違った結論を導くことになる。

ハフィントンポストが伝えているテレ朝の記者会見では女性記者の精神的状況については下記のように書いてある。

女性社員は精神的に大きなショックを受け、セクハラ行為について事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている。

 精神的に大きなショックは受けてはいる。が、その後に「事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている」と来ている。ショックで出社ができなくなっているとか、心療内科に通っているとか、PTSDになっているとか、そういう話ではない。セクハラ行為を報道すべきだと思っているわけだ。

つまり彼女は精神的なショックは受けているが、それ以上に報道すべきだという思いのほうが強く持っているということだ。ちなみにこちらのJcastニュースではサンジャポに出たデーブ・スペクター氏の発言を取り上げているが下記のようにも語っている。

(女性社員は)毎日出社しているとも聞いている。

想像で「女性記者は狂乱するほどの精神的ダメージを受けたに違いない!」などと思うのは勝手だが、それは明らかに結論を歪めることになる。

セクハラを今までどれだけ取り上げてきたか?

もう一つ上記のダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

いま世界では、人権はあらゆるものに優先されるべきことだとされている。しかし、モリカケ問題は人権問題ではない。だから、女性の人権に関わるセクハラは、モリカケ問題より優先されるべきなのだ。

たしかにモリカケ問題はくだらないので、あんなものは取り上げなくていいとは思う。しかし女性の人権に関わるセクハラがモリカケ問題よりも優先されるべきというのであれば、今までどれだけその問題を声を上げて取り上げてきたのか?

ダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

 お笑いタレントの柳原可奈子にいたっては最悪だ。4月17日放送のワイドショーで、「私だったら、この流れで『おっぱい触っていい?』て言われたら、「『どこがおっぱいでしょう』とか言って、『それより森友の件どうなっていますか?』って」と語った。これはまるで、セクハラ被害を受けたらお笑いで返せとでも言わんばかりの発言。

 さらに、「切り返し、切り返しを学んで来たので、大変なセクハラだと感じなかった。私は(セクハラに)慣れてきちゃっているのかな?」とまで発言した。セクハラは慣れてはいけない、という基本的なことをなにも理解していない発言だ。女性のこのような認識がレイプやセクハラを横行させる、ということがまったくわかっていない。まさに女の敵は女である。

こんなことはお笑い芸人・テレビの世界では当たり前だし、それで飯を食っている女芸人は山ほどいる。 それが良くないのであれば、どれだけそのことに対して声を上げてきたのか?さまぁ~ず三村が谷澤恵里香の胸をもんだときに声を上げたか?森三中村上がダウンタウン浜田に胸を揉まれたときに声を上げたか?一切していない。

逆に言えばそれで飯を食っている女性芸人・女性タレントをどう思うのか?今回の件で急に「女性の人権が~」と言い出せば、それはダブルスタンダードでしかない。普段から何度も言っているなら信用もされよう。もちろんこれはダイヤモンドの著者だけではない。

男性と女性の公平性の問題

また別の観点から言えば男性と女性の公平性の問題も大きい。今回、池田信夫さんが主張するように「事務次官はセクハラはなかったと否定している」のだ。それにもかかわらず多くの人はすでに「セクハラはあった」と断定して語っている。録音テープは確かに出てきているが、ガンガン編集されている。編集している録音テープに証拠能力があるというなら、いくらでも冤罪を作ることは可能だ。

事実関係がはっきりするまではどちらか一方に肩入れすれば、それは間違った結論を生みかねない。はっきり言えば冤罪を生みかねないのだ。それは痴漢冤罪の事件からいくらでも学んだはずだ。にもかかわらず、今回は事実関係がはっきりしていないのになぜ断定してしまうのか。

news.infoseek.co.jp

また池田さんが批判している江川さんは下記のようなコラムを書かれている。かなり慎重に言葉を選んで書いており、私は悪い印象は持っていない。が、それでも下記の点はいただけないと考えている。

bunshun.jp

 しかし、今回の音声データは、「取材で得た情報」というより、取材の場で受けた被害を記録した証拠である。

 しかも、自社が報じず、放っておけば今後も自他に対する重大な人権侵害が続くと予想される中、その証拠を抱え込むのではなく、事実を世の中に知らしめるために使うことは、被害者の行いとして正当であるばかりでなく、ジャーナリストとしてもまっとうな行為ではないのか。

録音データを週刊誌に売り込むというのは、セクハラを受けていた女性であれば正当な行為だと思う。しかしジャーナリストとしてまっとうな行為か?というとそれは違う。ジャーナリストなら自社で公開するように働きかけるべきだし、そこで上司から拒否されたら、その経緯も含めてすべて公開するように働きかけるべきではないか。

また上記でも紹介したが、この女性記者は自分自身を守ることよりもセクハラ記事を公開することの方に重きをおいている。であれば今回の週刊誌への証拠横流しは「女性として行ったのか」「ジャーナリストとして行ったのか」で質が変わってくる。

女性として自分を守るために行ったのであれば江川さんやダイヤモンドの著者の言う通りだろう。しかしジャーナリストとして行ったのであれば、それは自分自身の承認欲求のためであり「名前を上げたい」という功名心から行ったことになる。もちろんその両方ということもありうるが、その場合は両方のバランスをとって論じられなければならない。

結局どうすればいいわけ?

最終的にこの問題の落とし所はどこになるのだろうか?事務次官は騒動の責任をとって辞任したが、それだけではすまないのだろうか?例えば下記のコラムでもこのセクハラ騒動について取り上げているが、一体どうすればいいのかという解決策は示されていない。

business.nikkeibp.co.jp

今回の騒動で女性記者がどうなればいいというのか、どう扱えばOKなのか?そのあたりの結論がまったくない。「女性はあらゆる面で優遇されるべきと考えているんではないか?」と邪推する人が出てきてもおかしくない。

 

個人的な結論としては、そもそもこの問題はテレビ朝日がこの問題を真正面から取り上げていれば全く問題にならなかったのにもかかわらず、週刊誌に横流ししたということから始まっている。なので今回はテレビ朝日が謝罪、反省し、今後マスコミは自社で取り上げて報道するというジャーナリストとしての挟持を見せてもらえれば、それでいいと思っている。