ナイスミドルになりたい

松本孝行が思っていること、考えたことなどを書きます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

「じゃあお前がやってみろ!」という反論はもっと広く認められていい

世の中SNSやブログがあるおかげで、一億総評論家時代になった。何かを発表したら、それに対して評価・批評・論評する人が出てくる。映画や本だけでなく、イラストであったり短いマンガであっても「ここはあーでこーで」「こんなのはダメだ」とか言われてしまうようだ。

まぁそういう評論するということ自体は全く問題ないし、むしろ色々自由に意見が言えるのは喜ばしいことだ。しかしその後に作った側・表現した側が「じゃあお前がやってみろ!」というと、「それは逃げだ」とか「甘えだ」とか「強者の論理だ」とか言われる。

個人的にはもっとこの「じゃあお前がやってみろ」という反論は広く認められていと思うのだが、どうだろうか?ちなみに考える発端になったブログはこちら。

557dg4.hatenablog.com

商社で身についた「言った人がやる」という原則

おそらく私がそのように考えるのは商社で身についた「言った人がやる」という原則が大きい。私がいた商社は結構おおらかなところで、新人でも意見を言えるようなところだった。とは言え私のように、新入社員でいきなり管理部とケンカした人も珍しいだろうが(笑)

仕事をしていれば「このやり方は非効率だ!」という場面に出会うだろう。そこで「このようにしたらどうだろうか?」と意見をすることもあるだろう。そういう時に商社では「じゃあどうしたいの?」と言われる。つまり不満があるから会社が変わるのではなく、こうした方がいいという意見があるなら自分でやりなさい、ということだ。

ちなみに私の場合は中国地方にある企業への取扱を増やすため、四国の仕入れを開拓しようと提案し、自ら四国を週2,3日回る営業担当になった。

「じゃあお前がやってみろ」と言わなければお客さんは増長する

私の仕事はウェブマーケティングだが、会社や人によってはなんだかんだと文句をつけてくる人もいる。正当な意見であればこちらも聞くが、理不尽なことを要求してくるようであれば、原則断る。つまり「わかりました、ではご自身でやってください」と言うわけだ。

人によってはそんなことを言われるとは思っていなかったために、慌てふためく人もいる。しかしそうやってこちらも理不尽な要求ははねつける事ができて、初めて対等な関係性を築くことができる。お金をもらっているから下請け・召使・奴隷ではないのだ。

そう考えると、「じゃあお前がやってみろ」という反論は持っておくべきではないだろうか。

「じゃあお前がやってみろ」には誰も反論できない?

「じゃあお前がやってみろ」という反論は使うべきじゃないと言う場合、「反論をすべて封じてしまうから」という意見がある。確かにそのように思うかもしれないが、それはまったく違う。別に反論・意見をすることは全然可能だし自由だ。

ただしそれは消費者の側からの意見だというのは押さえておくべきだ。

例えばある映画が公開されたら、いろいろな人に「クソ映画、駄作」と言われたとしよう。その時に「じゃあお前がやってみろ!」と監督が評論家に言う可能性はあるだろう。では評論家は反論できないのか?というとそうではない。

「消費者として、見る側からするとこうあったほうが良いのだ」ということは言える。「視聴側はこう感じる。だからこういう表現のほうがいいのだ」とユーザー・視聴者・消費者の側からの意見として言えるはずだ。

だからまったく反論できなくなる、なんていうことはないのだ。

意見・論評は相手へのリスペクトが必須

いろんな意見や評論をすること自体はどんどんすべきだが、その時に「じゃあお前がやってみろ!」と言われるのは、おそらくその人や作品へのリスペクトが欠けているときだろう。敬意を払わない意見・論評をされたら、制作側は怒っても仕方ない。

上記で取り上げた映画の評論に関する例も、見る側の視点から堂々と言っているものであれば問題ないが、制作側のスタンスに立った物言いをすれば、それは批判もされルシ、されても仕方ないと思う。

意見・論評するなら敬意を持つべきだ。「自分にはできないことをやっているのは尊敬すべき部分だ」という敬意を持った上で、意見すべきだろう。そうすればこのような反論をされることはだいぶ少なくなるはずだ。