ナイスミドルになりたい

松本孝行が思っていること、考えたことなどを書きます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

牛乳石鹸のウェブCMはストーリーのあるAVと同じようなもの

pokonan.hatenablog.com

はてブに上がっていた上記ブログで知ったが、牛乳石鹸のウェブCMが議論になっているという。このブログの方は有名な方のようで、最近だとサントリーのウェブCMについても言及しているし、新宿ルミネのウェブCMにも言及して、炎上の元になっているようだ。

影響力のあるインフルエンサーアルファブロガーの方ということでいいと思うのだが、牛乳石鹸のウェブCMについては正直解釈が私とは違う。私も3分近い動画を見たが、おそらくこれは映画のような演出をしたかったのだろう。それも石鹸をツールとした映画のようなものを。

家族第一=現代=ボディソープ、仕事第一=過去=石鹸

まずこのウェブCMは牛乳石鹸をPRするためのツールである、ということを大前提として考えてほしい。牛乳石鹸をPRするために作られたもの、という大前提を置いた上で考えると、下記の公式が当てはまる。

家族第一=現代=ボディソープ、仕事第一=過去=石鹸

そもそも石鹸と言うものは古いもので、今はなかなか石鹸を使う人は少なくなった。昔はボディソープなんてなかったから当たり前のように石鹸を使っていたが、今はボディソープが出てきた。便利だし、泡立ちもいいから多くの人は石鹸からボディソープに乗り換えている。

つまりボディソープを使っている人に「石鹸も悪くないから使ってみたら?」と、石鹸のシェアをボディソープから奪わないとだめというわけだ。そのためにはどういう風にPRすればいいだろうか?どう石鹸の良さを世間に知らしめればいいだろうか?

そう考えたときに、広告代理店のプランナーが仕事と家庭と言うものと結びつけたわけだ。今は家庭第一で家族のために働くというのが当たり前になっている。しかし昔は家庭のために働くが、それはお金を持って帰るためであり、残業も厭わず仕事をするのが当たり前だった(とされる)。

今は家族第一が大切で、家族第一が正しいって言われているけれども、それは本当に正しいの?昔の父親がやっていた、仕事第一っていうのは間違っているの?と、ふと自分の中での考えが揺らいだのだ。で、昔のサラリーマンのように家族よりも仕事を優先してみたというわけだ。

家族を優先=ボディソープと考えると、仕事を優先=石鹸と考えられるので、たまにはそういうのもいいのかも?と思わせようとしたのだろう。

ストーリーのあるAVと同じような表現をしたかった?

おそらくだがこの牛乳石鹸のウェブCMを作ったプランナーは、自分のプランナーとしての「良いストーリーを作れる」という能力を自慢したかったのかもしれない。もしくはストーリーを作って何らかの言いたいこと・主張したいことがあったのかもしれない。

あえてこのようなストーリーCMを作り、しかも深読みさせる映画のような手法を用いているということはたまに見かけることだ。例えば男がよく見るAVでも、よくわからない恋愛的な要素を持つAVというのはある。溜池ゴロー監督が作るAVなんかもストーリーがあるし、全部含めてあの方は有名になったとも言える。

ただ、多くのユーザーにとってはAVのストーリー部分は大して重要じゃない。9割くらいの人はそんなところは早送りで飛ばしてしまう。なので、ごくごく一部の人にとってストーリーは大事なのかもしれないが、多くの人にとってはどうでもいいものだ。でも自分の作品の中で表現したいと思うのも、プランナーとして当然だと思う。

単に商品のPRをするだけのCMを作るなら、商品の名前と商品の特性を紹介すればいいだろう。ただそれでは誰でもできるし、プランナーとしての自分を示すことはできない。となれば、自分らしさをアピールしようとするのも当然だ。ストーリーのあるCMを作って、自分の存在をアピールしているとも言えるだろう。

単調なストーリーでも見せることはできた

この牛乳石鹸のウェブCMで主張していること、つまり昔の仕事中心だった家庭の話しと言うのは別にこのようなやり方でなくても表すことはできる。例えば三丁目の夕日のようなシーンを取って、そこでお風呂に入って石鹸を使っている回想シーンを入れたらいい。そうすれば「たまには使ってみるか」というように、石鹸をPRできただろう。

簡単に誰でも思いつくようなストーリーだし、多くの人が誤解することなく受け止めることができる内容だ。しかしそれをあえてしなかったということは、やはりウェブCMを作った監督・プランナーが自分らしさを出そうとした、個性を出そうとしたと考えるのが自然ではなかろうか。

ただ一つ言えることはこのウェブCMはバッシングに値するような差別的な表現もないし、何も世間一般で批判されるような内容ではないということだ。最初に取り上げた方のように、単に嫌いという人はいてもこれを社会一般として批判する部分はないということは強調しておきたい。