ナイスミドルになりたい

松本孝行が思っていること、考えたことなどを書きます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

文脈を見ずに「差別だ」とポリコレ棒を振り回すのは自由主義を潰す

毎年恒例のガキの使い、笑ってはいけない。今年は蝶野さんのビンタがないのでは?と心配されたけれども、無事ビンタもありました。やはりあれを見なければ年を越せない(笑)

しかし今回のガキの使いでは浜ちゃんのエディーマーフィーのコスプレ(ビバリーヒルズコップのモノマネ)が「黒人差別だ!」と騒がれることになってしまった。

ただ私はこの流れにはまったく賛成しない。むしろこういう流れは自由主義を潰す、自由への挑戦だと思うので断固反対したい。

「黒塗りは黒人差別」はグローバルスタンダードではない

まず大前提として、下記のTwitterユーザーの方が調べて書いてくれているが、黒塗りは黒人差別と言うのはグローバルスタンダードではない。主にアメリカそして英国において差別であると主張する人が多い。フランスにも黒人は多いし、アジア圏にも黒人は多いが、だからといって黒塗りが差別だと言っているわけではないらしい。

つまり黒塗りは黒人差別であると全世界のコンセンサスになっているわけではない。アメリカと一部イギリスで差別と言われている。逆に下記ツイートではインドで黒塗りをする女性は差別に対抗するために黒塗りをしているそうだ。黒塗り=差別ではなく、黒塗りが差別への対抗の証になっている。

というように、単純に顔を黒く塗るという行為は世界的に見ると差別とはみなされていない。しかしアメリカではどんな理由であろうとも黒く塗ると差別と感じる人がいるということだ。ちなみにアジアでも黒塗りで批判が起こったことがあるようだが、これは黒塗りそのものへの批判ではなく、その後ろにある文脈に批判が集まったようだ。

自由・クリエイティブを守るために反論する

というわけで黒塗りは世界的に批判はされていないが、アメリカ・イギリスでは差別とされている。なので日本で差別と捉えられないと言うのはある種当然だろう。

で、私はなぜここまで「黒塗りは差別だ!」という主張に対して反論しているかというと、自由主義への挑戦だと思っているからだ。つまり自由を阻害する要因になりかねない、そう考えている。

もちろん差別はいけない。が、黒塗りそのものを差別的な行為であるとみなし、黒塗りを一切認めないという態度は自由を阻害する。文脈の中で差別する意図がない・差別する意図を感じないのであれば、批判すべきではないと思う。下記のツイートが私の考えそのものだといえる。

少し前にダルビッシュが差別的行為をされたことでニュースになったが、あれは文脈を見ても明らかに差別(よく言えば相手に「ざまあみろ!」と言いたかった)だと言える。だからこそ、多くの人が批判する声が上がったが異論反論はほとんどなかった。私もその一人だ。まぁアメリカはだいぶ厳しいなとは思ったが。

つまり侮蔑的な行為ではない行為に関しては文脈を見るべきであり、文脈を見ないで断罪するのは単純すぎるし、それは自由を阻害する。場合によってはお笑いの幅を狭めるし、ドラマや広告クリエイティブなどを狭める要因になりかねない。だからこそ私はこういった批判はまったく受け入れられない。

ダウンタウンなんてどうなったって関係ない」という人も多いのかもしれないが、ダウンタウンだけでなく、自分や自分の周りもポリコレで縛ることで幸せになるとは到底思えない。日本を「メリークリスマス」が言えない国にしたくない。

自由と公平性、それを毀損するような事があるなら、私は断固として反対する。