ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

財務省・テレ朝セクハラ騒動でなぜ女性記者を擁護する意見が毛嫌いされているか

まだまだ続くみたいやねこの騒動は。個人的にも大問題だと思ってて、それはセクハラかどうかっていうよりも、報道というものが変化せざるを得ない問題だと思うからだ。もっと言えば報道が変われば我々の知る権利やプライバシー権などが変わってくる。我々一般人の基本的権利に関わるから大問題だと思っている。

しかし今回の事件をセクハラの観点絡みている人たち、例えば野党の面々であるとかリベラルだと言われている人たちだとかの意見というのは、ネット上でかなり毛嫌いされている。セクハラ問題ということで女性の論者のほうが多いように思う。

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一般的なセクハラ問題ではない

まず前提として押さえておかないといけないのは、今回の騒動は一般的なセクハラ事件とはだいぶ毛色が違うということだ

一般的なセクハラであれば、工場長のおじさんが若い20代女性事務員のお尻を事あるごとに触る、「結婚はまだか?」「昨日は彼氏とヤッたのか?」などと聞いてきたりするような事例だ。

今回の件の違うところというのは下記のようなものか。

  • 自ら女性は足を運んでいること
  • 上司にもセクハラ被害を訴えていること
  • セクハラ被害を訴えてはいるが、配置転換や対策を望んでいないこと
  • 報道という特権・権力を持つマスコミであること

というように、一般人が遭遇するセクハラ問題とは全く違う。だからこれを一般論のセクハラ問題として語ること自体が間違いであり、納得できなくなるわけだ。一般人ではありえないシチュエーションなわけだから。

想像とファクトを分けて考えるべき

もう一つ大きな問題があるとしたら、みんな想像を自分勝手に働かせ過ぎだということだ。例えば下記ダイヤモンドの記事ではこのようなことが書かれている。

diamond.jp

レイプ事件でもセクハラ事件でも、被害者の心はデリケートだ。被害の状況を誰かに語ることは非常に苦しくて重い。僕もレイプ被害に遭った女性の話を聞いたことがあるが、その女性はその時のことを思い出しながら話すので、あまりに感情が高ぶり、ワンワン大泣きしてしまい、途中でなにを言っているかわからなくなることが何度もあった。それぐらい、被害の話をする時は感情が乱れる。被害者が被害のことを誰かに話すということは、それほどまでに大変なことなのだ。

というようにセクハラにあったという女性記者の心がまるでPTSDになってしまったかのように、勝手に想像して心配している。女性に優しくするのは悪いことではないが、事実に基づいて考えなければ、間違った結論を導くことになる。

ハフィントンポストが伝えているテレ朝の記者会見では女性記者の精神的状況については下記のように書いてある。

女性社員は精神的に大きなショックを受け、セクハラ行為について事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている。

 精神的に大きなショックは受けてはいる。が、その後に「事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている」と来ている。ショックで出社ができなくなっているとか、心療内科に通っているとか、PTSDになっているとか、そういう話ではない。セクハラ行為を報道すべきだと思っているわけだ。

つまり彼女は精神的なショックは受けているが、それ以上に報道すべきだという思いのほうが強く持っているということだ。ちなみにこちらのJcastニュースではサンジャポに出たデーブ・スペクター氏の発言を取り上げているが下記のようにも語っている。

(女性社員は)毎日出社しているとも聞いている。

想像で「女性記者は狂乱するほどの精神的ダメージを受けたに違いない!」などと思うのは勝手だが、それは明らかに結論を歪めることになる。

セクハラを今までどれだけ取り上げてきたか?

もう一つ上記のダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

いま世界では、人権はあらゆるものに優先されるべきことだとされている。しかし、モリカケ問題は人権問題ではない。だから、女性の人権に関わるセクハラは、モリカケ問題より優先されるべきなのだ。

たしかにモリカケ問題はくだらないので、あんなものは取り上げなくていいとは思う。しかし女性の人権に関わるセクハラがモリカケ問題よりも優先されるべきというのであれば、今までどれだけその問題を声を上げて取り上げてきたのか?

ダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

 お笑いタレントの柳原可奈子にいたっては最悪だ。4月17日放送のワイドショーで、「私だったら、この流れで『おっぱい触っていい?』て言われたら、「『どこがおっぱいでしょう』とか言って、『それより森友の件どうなっていますか?』って」と語った。これはまるで、セクハラ被害を受けたらお笑いで返せとでも言わんばかりの発言。

 さらに、「切り返し、切り返しを学んで来たので、大変なセクハラだと感じなかった。私は(セクハラに)慣れてきちゃっているのかな?」とまで発言した。セクハラは慣れてはいけない、という基本的なことをなにも理解していない発言だ。女性のこのような認識がレイプやセクハラを横行させる、ということがまったくわかっていない。まさに女の敵は女である。

こんなことはお笑い芸人・テレビの世界では当たり前だし、それで飯を食っている女芸人は山ほどいる。 それが良くないのであれば、どれだけそのことに対して声を上げてきたのか?さまぁ~ず三村が谷澤恵里香の胸をもんだときに声を上げたか?森三中村上がダウンタウン浜田に胸を揉まれたときに声を上げたか?一切していない。

逆に言えばそれで飯を食っている女性芸人・女性タレントをどう思うのか?今回の件で急に「女性の人権が~」と言い出せば、それはダブルスタンダードでしかない。普段から何度も言っているなら信用もされよう。もちろんこれはダイヤモンドの著者だけではない。

男性と女性の公平性の問題

また別の観点から言えば男性と女性の公平性の問題も大きい。今回、池田信夫さんが主張するように「事務次官はセクハラはなかったと否定している」のだ。それにもかかわらず多くの人はすでに「セクハラはあった」と断定して語っている。録音テープは確かに出てきているが、ガンガン編集されている。編集している録音テープに証拠能力があるというなら、いくらでも冤罪を作ることは可能だ。

事実関係がはっきりするまではどちらか一方に肩入れすれば、それは間違った結論を生みかねない。はっきり言えば冤罪を生みかねないのだ。それは痴漢冤罪の事件からいくらでも学んだはずだ。にもかかわらず、今回は事実関係がはっきりしていないのになぜ断定してしまうのか。

news.infoseek.co.jp

また池田さんが批判している江川さんは下記のようなコラムを書かれている。かなり慎重に言葉を選んで書いており、私は悪い印象は持っていない。が、それでも下記の点はいただけないと考えている。

bunshun.jp

 しかし、今回の音声データは、「取材で得た情報」というより、取材の場で受けた被害を記録した証拠である。

 しかも、自社が報じず、放っておけば今後も自他に対する重大な人権侵害が続くと予想される中、その証拠を抱え込むのではなく、事実を世の中に知らしめるために使うことは、被害者の行いとして正当であるばかりでなく、ジャーナリストとしてもまっとうな行為ではないのか。

録音データを週刊誌に売り込むというのは、セクハラを受けていた女性であれば正当な行為だと思う。しかしジャーナリストとしてまっとうな行為か?というとそれは違う。ジャーナリストなら自社で公開するように働きかけるべきだし、そこで上司から拒否されたら、その経緯も含めてすべて公開するように働きかけるべきではないか。

また上記でも紹介したが、この女性記者は自分自身を守ることよりもセクハラ記事を公開することの方に重きをおいている。であれば今回の週刊誌への証拠横流しは「女性として行ったのか」「ジャーナリストとして行ったのか」で質が変わってくる。

女性として自分を守るために行ったのであれば江川さんやダイヤモンドの著者の言う通りだろう。しかしジャーナリストとして行ったのであれば、それは自分自身の承認欲求のためであり「名前を上げたい」という功名心から行ったことになる。もちろんその両方ということもありうるが、その場合は両方のバランスをとって論じられなければならない。

結局どうすればいいわけ?

最終的にこの問題の落とし所はどこになるのだろうか?事務次官は騒動の責任をとって辞任したが、それだけではすまないのだろうか?例えば下記のコラムでもこのセクハラ騒動について取り上げているが、一体どうすればいいのかという解決策は示されていない。

business.nikkeibp.co.jp

今回の騒動で女性記者がどうなればいいというのか、どう扱えばOKなのか?そのあたりの結論がまったくない。「女性はあらゆる面で優遇されるべきと考えているんではないか?」と邪推する人が出てきてもおかしくない。

 

個人的な結論としては、そもそもこの問題はテレビ朝日がこの問題を真正面から取り上げていれば全く問題にならなかったのにもかかわらず、週刊誌に横流ししたということから始まっている。なので今回はテレビ朝日が謝罪、反省し、今後マスコミは自社で取り上げて報道するというジャーナリストとしての挟持を見せてもらえれば、それでいいと思っている。