ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

【映画】ゲッベルスと私ー睡魔と闘いながらも、内容は大変興味深い

www.sunny-film.com

ナチスで宣伝・広報のトップだったゲッベルス。その秘書を勤めていたという方が語る映画。基本構成は彼女が語り、当時のプロパガンダ映画や記録映像を流すという2つを織り交ぜている。淡々と、白黒映像が続くのでまぁ眠い(笑)寝てる人もいたし、途中で出ていく人もいた。

構成としてドキュメンタリーかつ語りが中心なので、眠くなりがちではある。ただ、内容は結構面白いものがたくさんあった。当時のユダヤ人はこうあるべきだというプロパガンダ映画はなかなかショックだった。

彼女は毎日を生きていただけ

映画での彼女の語りを見る限りでは、単に「私は毎日を過ごすために一生懸命生きていただけ」というふうに取れる。多分、それが本当だと思うし、本音だろう。彼女は働き、より良い仕事を求め、みんなと語らい、人生を謳歌した。それが単にナチスの政権下だった、というだけだ。

おそらく、私を含めた多くの人が毎日を生きているわけだ。好きとか嫌いとか関係なく仕事をし、毎日の生活のために働く。それが多くの人にとって普通であり、たとえ政権がトランプ政権だろうが安倍政権だろうがナチス政権だろうが、やることは変わらない。ただ単により良い仕事を求めていたわけだ。

今の若い人たちは「あのような政権には私は従わなかった」と言う。しかし彼女は「あの頃の雰囲気に逆らえる人はいなかった」と強く否定する。

日本の行方に責任を持てますか?

彼女は「私は悪くない」という。しかし「ドイツ国民全員が悪いといえば、それは正しい」という。つまり、「政権に近かった人たちだけ」が悪いわけじゃない。ヒトラーゲッベルスも彼女も含め、ドイツ国民全員に非があるというわけだ。

おそらく日本でもそれは同じだ。例えば日本は世界に類を見ないレベルの負債を抱えた国家だ。返済のために国債を発行し続ける状態だ。税金を上げるにも選挙で落ちることを怖がる政治家には税金を上げる事はできない。国民が増税に反対だからだ。どんな状況であろうとも、反対だ。

この状況、確かに年齢の高い人達ほど多くの責任があるだろうが、今働いている人たち、引退した人たち全員に責任があるといえるのではないだろうか。日本がどうなるかわからないが、財政悪化によって不幸な未来になるというのであれば、我々に責任があるだろう。

しかしでは今の世の中で誰が何をできるだろうか?おそらく多くの人は私も含め、毎日働いて家族と生活し、友達と語らうしかできないだろう。

何もナチス政権だからというわけではない、我々はどんなときでも無力なのだ。しかしだからといって、何もせずにいていいわけではない。生活をすると同時に、それ以外にやるべきことを探さねばならないのだろう。

【感想文】日本と親和性が高いドラッカーからマーケティングを学ぶ

ピーター・ドラッカー マーケターの罪と罰

ピーター・ドラッカー マーケターの罪と罰

 

日本では企業経営・マーケティングといえばこの人、というくらい有名なドラッカー。世界的にはそこまでじゃないようだけれども、ドラッカーの指摘することはかなりまともで、日本人なら納得しやすい事が多い。

そしてこの本では様々な常識をくつがえすような提言をしているのも面白い。本書に出てくる常識を覆されるであろうドラッカーの提言を紹介しよう。

プロフェッショナル意識が組織を滅ぼす

プロフェッショナルであろうとすること、プロ意識というのは非常に重要と考えられているが、ドラッカーはそれが危ういという。

プロであるということ、プロであろうとすることは悪いことではない。ただ「なぜプロであらねばならないのか」という目的を持たない場合は最悪の方向に進みかねないという。企業の目標とプロ意識が必ずしも同じ方向を向かないことがあるというわけだ。

例えばホームページ作成でウェブデザイナーがプロらしくかっこいいデザインを作ることがある。デザインのプロなのだから、素人にできないウェブデザインを行うことが仕事だ。ただ、組織・企業の目的は決してきれいなウェブデザインを行うことではない。多くの企業に効率的に良いウェブサイトを作り、利益を上げることだ。

デザインのプロとして良いデザインを作ることは必ずしも会社の目的と一致しないこともあり、一致しない場合には悪い影響を与えかねないということだ。プロ意識は良いことのように思うけれども、一概には言えないということだ。

販売とマーケティングは対立しうる

もう一つは「販売とマーケティングは対立しうる」という考え方だ。

トップセールスマンがいる企業があるとしよう。毎月毎月、商品を一般的な営業マンの倍は売る。他の人には真似できないし、多大な利益を企業にもたらしている。

しかしマーケターとして考えないといけないのは「このトップセールスマンに頼る方法がベストなのか?」ということだ。企業として販売を継続して多く行い、利益を残していく、最も良い方法は他にないのか。もしかするとどんな営業マンでも受注できるマーケティングを基礎にして各営業マンに活動してもらうほうが、より利益が残せるのではないか。

販売するセールスマンの能力が高いことは企業として喜ばしいことだ。しかしマーケティング戦略を組んだときに、そのセールスマンのやり方と反対の方法を選ぶこともあるわけだ。このあたり、フミコフミオさんが実例を用いて書いているので良ければ参考にしてみてほしい。

delete-all.hatenablog.com

このように面白い話がたくさんあり、目からウロコのことも多い。マーケティングに興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

【映画】子どもが教えてくれたことーまさに「ライフイズビューティフル」

kodomo-oshiete.com

子どもが教えてくれたこと、見てきました。フランスのミニシアター系映画で、難病の子供たちが病院や学校を通して、どのように生きているかを描いた映画。撮影する製作者側が余計な演出をまったく入れていないので、子どもたちのありのままが映し出されている。

子どもたちは腎不全や心臓機能が弱い、腫瘍があるなど様々な病気を持っている。しかし彼らが楽しそうにしている姿がたくさん映し出されている。ほっこりするというか、病気ではあるけれども、彼らは一人の子ども・人間であるのだ。

配られたカードで勝負するしかない

一人の女の子「アンブル」は心臓が弱く、激しい運動ができない。いつも薬を投与するための機会を背負って置かなければならないらしい。彼女は激しいスポーツはしないけれどもバトミントンを楽しむことはできるし、演劇には力を入れている。自分ができることを精一杯やろうとしているわけだ。

彼女は言う「ややこしいことは忘れて、今を生きるしかない」と「それが人生というものだ」と。子供のうちから自分自身の置かれた境遇とうまく付き合っていくことを、自分自身で結論づけているのだ。

我々も「もっと金持ちだったらな」とか「もっと頭がよかったらな」ということを考えることはあるだろう。しかし人生は平等・公平ではなく、生まれも違うし病気の有無も違う。人それぞれ持って生まれた物があるのだ。

たまたま彼女は病気を持って生まれた。それは不幸なことだと多くの人が思うだろう。だが、本人はそんな中でも生きる喜びを見つけ出し、楽しんでいる。親や病院スタッフなど、周りの協力もあるのだろう。しかし一人の子供が楽しそうにしている姿を見ているのはこちらも嬉しくなる。

誰にでも「生きる喜びを知る権利」がある

小さな男の子「イマド」は腎臓が悪い。透析をしているのだが、ふとした時に泣き出してしまう。自分自身に嫌気がさしたのかもしれない。「どうして自分だけこんな目に合うんだろう?」そう考えてしまったのかもしれない。感情が溢れて泣いてしまう。

泣くこともあるけれども、彼はいろいろなことを経験する。病院の中で友達と仲良く遊ぶ、勉強をすることも。そして働く大人たちに仕事について体験させてもらう…彼は彼の中で病気と付き合い、一生懸命生きる喜びを体感しようとしているのだ。

この映画を通して子どもたちは病気でありながらも、生きる喜びを感じているように思う。どんな状況で生まれたとしても、その中で生きるという喜びを知る権利が誰にでもあるのではないだろうか。もちろん社会保障費の問題や所得格差の問題などもあるだろうが、人権のことをよく考えているフランスならではの作品だろう。

我々は生きる喜びを知るために、一生懸命生きているか?問いかけられた気がする。

2018年7月・8月に発売される読む予定のマンガ

全く忘れていた、7月書くの。毎月書くようにしてたのに、忘れてた…そしてもう7月も半分が過ぎてしまうという失態(笑)

というわけで少年誌の合併号のように2ヶ月分、7月8月をあわせて書いておこうと思う。暑すぎるので、インドア派には漫画喫茶は良いと思うよ。

7月・8月に読む予定のマンガ

7月・8月の注目コミック

最近ちょっと思ったのが「7つの大罪」でのあるシーン。それはどの攻撃がどのくらいダメージがあって、どのくらいのダメージが回復しているのか?ってのがよくわからない。「すごい攻撃なんだろうなー」っていうのが2~3回続いて、その2~3ページ後にはノーダメージみたいにしてキャラが立ってんの。「え、今までの攻撃なんやったん?」って感じなのよね。

格闘ゲームのようにゲージがあるわけでもないし、RPGのようにHPの数字があるわけじゃないから、わかりにくいだけなのかもしれない。でも結局、どんなすごい必殺技を使ったところで、最後には首をはねるか心臓を貫いて終わり、みたいな感じで死んでいくのよね。

まぁそんなこと言ったら、彼岸島だってどんだけダメージ食らっても立ち上がるから、そこも変といえば変なんやけど(笑)

七つの大罪 コミック 1-31巻セット

七つの大罪 コミック 1-31巻セット

 

あとは久しぶりにテラフォーマーズという単語が出てきた。今までは作者が休んでいたのかな?まぁ久しぶりに楽しみ。あとはくうねるまるたも新しいシーズン入るのも楽しみですな。

夏は暑い、今年は海への旅行もないわけだし、とりあえず涼むためには漫画喫茶しかないな(笑)

昭和的・平成的労働価値観からどうやって脱却するのか

きっかけは下記のブログだった。「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」というのが日本になくなっているという話だった。特に製造業が衰退し、中国や東南アジアに生産拠点が移されていることで、「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」がなくなったとのこと。

blog.tinect.jp

確かに説得力あるなと思う反面、別にそれは日本だけのことではなく、アメリカや欧州も同じだ。アメリカの場合はインドにIT系の仕事も取られたし、工場は同じく中国・東南アジアに取られていて、日本以上にダメージはでかい。欧州も経済発展によって工場を中国に移すなどしているところは多い。

現代の「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」は?

最初に紹介した記事では、日本の製造業が衰退し工場で働いていた人たちはどこに行ったか?という問いに対し、このように書かれている。

では、かつて工場が吸収していた雇用は、どこへ行ったのだろうか?

それは、スーパーマーケット、コールセンター、介護事業などの、労働集約的なサービス業に吸収されたのである。

確かにそうかと思うが、実はそうではないようだ。私が以前書いた過去の記事を参考にしてみると、実はスーパー(小売)や介護、コールセンターなどよりも、事務作業の方に多くの人が向かっている。「東京のハローワークでは事務職の求人25,824件に対し、応募者が46,850人にのぼる。東京の例ではあるが、多くの労働者は事務職を目指すようになった

おそらくこの事務職こそが「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」だと、昔は工場で働いていた労働者層には思われているのだろう。労働負荷はさほど高くはなく、むしろ一般事務や経理事務など、決算期などを除けば楽な方だろう。給料もそれなりだ。東京のハローワークでは事務職の正社員求人の平均給与は230,498円だそうだ。

t-matsumoto.hatenablog.com

ただ、残念ながら事務職を目指している人のおよそ半分は、希望の職にたどり着けない。なぜなら今や人手不足と言われている時代でも、事務職の有効求人倍率は1を下待っているのだ。多くの人は事務職ではなく、別の職につかなければならない。その時に介護やコールセンター、スーパーマーケットなどの職についているのだろう。

なぜ事務職以外が選ばれないのか?

事務職が「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」だと認識されているというのは、私も理解できる。しかし逆に言えば、他の仕事はどうして「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」と認識されていないのだろうか?

例えば有効求人倍率が15.21倍の「保安の仕事」は給料が最も安い(203,884円)。なのでそれなりの給料がもらえないために、人気がないのは理解ができる。だが、「事務的職業」(230,498円)より給料の高い「福祉関連の職業」(238,854円)や「輸送・機械運転の職業」(250,653円)、「建設・採掘の職業」(253,531円)はなぜ人気がないのか?

よくネット上では「給料を上げれば人が来る」と言うが、そんなのは嘘っぱちだ。給料が最も高い「管理的職業」(405,274円)は1.35倍と給料が最も高くても求職者よりも求人数のほうが上回っている。給料を上げれば人が来るわけじゃないのだ。

「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」は分解すると条件が3つに分類される。

  • そこそこ簡単な仕事
  • それなりの給料の仕事
  • それなりの地位の仕事

この3つを満たしている仕事が少なくなった、ということだ。

「福祉関連の職業」(238,854円)、「輸送・機械運転の職業」(250,653円)、「建設・採掘の職業」(253,531円)の3つについてはそれなりの給料の仕事であることは間違いない。簡単かどうかと言われると一言では言えないが、大学卒などの学歴が必要なわけではないので難しくはないだろう。

一方の「管理的職業」(405,274円)は給料はそれなりどころか高い。そして地位もそれなりどころか高いだろう。ただ、簡単な仕事ではない。

この3つを満たす仕事は少なく、2つを満たす仕事は多くあるというのが現状だろう

それなりの地位とはなにか?

3つの条件の内、最も曖昧なものが「それなりの地位の仕事」だろう。これは一言では表せないのだが、おそらく自分自身の仕事への満足度のことだと考えるのが最も近いのではないだろうか。その昔、炭鉱労働者や工場労働者は社会からも必要とされていたし、社会を構成している自負を持っていたと思われるが、それが「それなりの地位」なのではないかと思う。

そこで、日本人の仕事の自負や満足度などに関して、労働白書で下記のような図を見つけた。

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仕事の満足度に関してのグラフだが、1984年をピークに下がっている。1984年~1987年に何が起きたかと言うと、象徴的な出来事がプラザ合意だ。固定相場であった日本円が変動相場制に切り替えられ、急速に円高に向かっていった。円高になれば、日本で作った商品を海外で販売した時に得られる金額が減少する。1年でドル円相場は半減したとされる。

つまりこのとき製造業がダメージを受けたわけだ。そうして、一気に多くの人たちが仕事のやりがいを始めとした、様々な指標が落ち込んでいる。日本のメインであった製造業がダメージを受けたときに、日本の仕事への満足度は落ちたのだ。最初に紹介した記事の言う通りだったのだ。

どうしてサービス業はそこそこの地位になれないの?

ただ、それでも疑問は残る。なぜ介護や小売、サービス業がそこそこの地位の仕事であると認識されなかったか?だ。給料が安いのは労働集約型だからだ。しかし最近は人手不足もあり、事務職よりも高い金額で正社員になれる仕事だ。給料が上回っていて、そんなに難しくない仕事でも、事務職より人気がないのはなぜなのか。

ここで見てみたいのがリスクモンスター株式会社が発表した第4回「就職したい業界ランキング」調査を見てみよう。1位から10位まで、下記の通りとなっている。

  1. 国家公務員
  2. 地方公務員
  3. JAL
  4. ANA
  5. 日清食品
  6. Google
  7. 森永乳業
  8. 明治
  9. ソニー
  10. 味の素

ここで見るべきはJALだろう。2019年3月卒業予定の学生なので、JALが破綻したときはだいたい中学生に入ったところくらいだろう。であれば、JALが破綻したことはなんとなくわかっていると思う。少なくとも就職活動の中でそれくらいは学ぶはずだ。

それでもANAよりもJALが上に来ているのだ。そして相変わらず1位2位ともに公務員だ。これに共通しているものはなんだろうか?それは将来への安定だろう。もちろんいつまでも安定しているということはないのだが、それでも少なくとも今の時点で最も安定しているものを選択しているといえる。

思えば過去に「そこそこの地位の仕事」で周りもリスペクトしていた職業も、将来安定していると思えるような仕事だった。炭鉱もそうだ。日本のメインエネルギーとなると思われていたし、石油に取って代わられるなんて誰も思っていなかっただろう。1980年台に製造業で働いていた人の中に、誰が中国・韓国が台頭してくると予想できただろうか?

加えてこのランキングを見ると、若い就活生も転職をする気はなさそうだ。一社で勤め上げられつ企業を上げている。つまり、安定というのはその企業にずっと勤め上げられる、40年勤められるところと考えているのだろう

サービス業は安定的に続けられる仕事?

翻って人気のない職業はどうだろうか?飲食系はすぐに潰れるし離職率も高い。給料もそこまで高くない。介護職も最初の給料は事務職よりも高くても、まだ将来の見通しが立ちにくい。採掘の仕事は今後も人気が出ることはないだろうし、輸送業のヤマト運輸なんて国と真っ向から対立しているため、JALのように助けてもらえることはないだろう。

そう考えれば、サービス業というのは安定しているとは言い難い。業界全体では安定しているとしても、1社で安定して40年勤め上げられると考えられる企業は乏しい。だからこそ人気がないし、製造業のように「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」とみなされないのではなかろうか。

日本の職業教育は正しかったか?

今までは職業の方をメインに考えてきたが、逆に労働者についても考えてみたい。破綻したJALや安定しているからという理由で公務員を選ぶ上記大学生を見て、職業教育は正しかったと言えるだろうか?

今の時代、安定している企業なんていう物自体がないはずだ。一つの企業に勤め上げる人は少なくなってきて、転職が増えてきている時代に、安定しているからという理由で就職先を決めるような状況は良いことなのだろうか?

一昔前ならそれでも良かっただろう。しかしそのような考え方では労働者の多くが路頭に迷う可能性がある。地銀や山一證券は潰れることはないと思っていたが潰れたのだ。JALもそうだ。国だってどうなるかわからない。そんな時に1980年台の働き方を目指す若者を作ってよいのだろうか?

その答えは「No」であることは明らかだ。日本は確実に職業教育に失敗してきている。

昭和的労働に未来はあるか?

私は別に大学生を批判しているんではない。大学生は現在において、合理的な判断を下しているだけだ。それ以上に我々大人、そして職業教育における日本のシステムが失敗していることを批判しているのだ。

今後日本の未来を背負う若者に昭和的労働(=一つの会社に定年までつとめあげる)が正しいと言えるのだろうか?私は正しいとは思わない。いい・悪いは別としても一つの会社に勤め上げるのではなく、良い会社に転職していくために、自分自身の軸となるスキルを身につける、そのような労働のほうが良いのではないかと思っている。

その一つが下記の記事だ。

note.mu

自社の宣伝も欠かしていないが、靴職人として神戸のど真ん中、地方都市で靴職人をされている方々が映し出されている。そう、彼らは靴職人として神戸だろうが大阪だろうが、それこそベトナムだってアメリカだってやっていけるスキルを身につけているのだ。こういったポータブルなスキルは若いうちからだって学べるはずだ。

翻って大学に通って卒業した若者を見てみよう、彼らになにかポータブルなスキルはあるだろうか?コミュニケーションが得意な人はいいだろう、営業はどこでもできるしマネージャーになることもできる。しかしそうではない、普通の人はどうすればいいのだろうか?大学を出た彼らは、一つの会社を勤め上げる道以外、選べないのだ。

これはもう完全に職業教育の失敗であるとしか言えない。彼らが高校生の時に職人としての力をつけておけば、彼らが大学の時に職業訓練を2年間受けていれば、事務職を目指さなくても良かったのだ。彼らは日本の失敗した職業教育の犠牲者になってしまったのではなかろうか。

昭和的・平成的労働からの脱却を

平成ももう終わろうという時代でも、若者が平成的・昭和的な労働価値観を持っているというのは良いことなのだろうか。一つの会社に勤め上げ、特別なスキルももたず、「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」を求めてさまよう若者を生んだことは正しいのだろうか。

今年35歳になる私も、若者の今後を背負う人間でもある。どのみちを若者に勧めるべきか、考えねばならない。

なぜサッカー協会はこんなにも監督へのリスペクトがないのか

ホントサッカー協会というのはどうしようもねーなと思わせるのが、また監督問題で出てきた。ワールドカップで戦ったチームが帰ってくる前に、次の監督に関する話が漏れてきた。

news.livedoor.com

いやね、たとえこれが本当だったとしてもそれはサッカー協会は必死に火消しに回るべきだよ。今の時点、戦ってきたチームが帰ってくる前に発表するなんて、選手にも監督にも全くリスペクトがない。敬意を払うということを知らんのか、この協会は。

確かに西野さんは今回ベスト16で終わって、目標を果たせなかった。その責任はある。しかし西野さんの責任の前に、ベスト8を目指してアギーレ呼んできて失敗して、その後ハリル呼んで勝手にクビにして、直前に西野さんにお願いしたわけだ。

明らかに監督のせいというよりも、協会側が右往左往していることのほうが大きい影響を与えているだろう。断言してもいいが、ベスト8になれなかったのは監督のせいでも選手のせいでもない、サッカー協会のせいだ

こんな選手にも監督にもリスペクトがない協会の下で強いチームが作れるわけがない。ベスト8を目指すなら、監督や選手・戦術をいじる前にサッカー協会の体制を大幅に刷新すべき。

本当にワールドカップベスト8が目標なら、勝つためになんでもできるでしょ?ポーランド戦で批判を浴びながらもボール回しに徹するように。もし自分たちに甘い事するなら、結局ベスト8なんてお題目で協会幹部は自分たちのほうがカワイイっていうことになるんじゃないの?

もうこういうリスペクトがないの、ほんとに嫌い。

忖度ジャパンもベスト16ももうお腹いっぱいです。

というわけで日本代表のサッカーワールドカップはベスト16で終わった。寝不足の人をたくさん生んだ見返りは「感動をありがとう」だそうだ。まあ確かに頑張っている姿に感動はする。しかし振り返って考えてみれば、日本の目標は「ベスト8進出」だったはずだ。

過去ベスト16には2度進出している。日韓ワールドカップ、そして南アフリカワールドカップだ。1998年から常連でワールドカップに出ているのだが、予選敗退とベスト16を繰り返している。20年、同じことを繰り返しやっている。

20年がサッカーに置いて短いか長いかはわからない。98年から数えて6回目の出場となるわけだが、ナイジェリアも6回出てベスト16が最高成績、コロンビアは今回まだわからないが、ベスト8まで進出している。ポルトガルも6回出場していて1966年に3位、2006年に4位になってからは、ベスト16とグループリーグ敗退を繰り返している。

今回もポルトガルはダメだったし、アフリカ勢は軒並み予選敗退だった。予選を勝ち抜くのも難しいし、ベスト8になるのも難しい。それはわかっている。しかしベスト8になるという目標を立てたのなら、どうやってベスト8になるのかを今後4年間模索しなければならない。

少なくとも西野監督は「何が違うんでしょうね」と試合終了後の会見で語っていたように、ベスト8に進むための確固たる答えというのを持っていない。ハリルホジッチが持っていたかどうかはわからない。今後はこの「ベスト8に行くための答え」を探す必要がある。

「感動をありがとう」もいいが、明日にはもうベスト8に行くための方法を探しだしてほしい。それは西野監督と行うのか、それとも他の監督と行うのかわからないが。ワールドカップが終わるたびに「感動をありがとう」で締めくくっていたら、いつまでたってもベスト8に行くことはできない。

我々ファンもそろそろ厳しい目を持たないといけないのだろう。

システムエンジニアを多重請負で調達するのは合理的な理由があるから

法的にも多重派遣は禁止されているけれども、まだまだ業界として下請けの下請けを使うというのが当たり前のようになっているのがシステム系の業界だ。システムエンジニアプログラマと言った人たちは元請けで入っている人は少ない。

例えば大手企業のSIerと言われる職種はたくさんの企業から、いろいろな人が入ってきている。中堅企業でも、システムエンジニアが元請け・二次請け・三次請けと派遣や請負企業が入っている。簡単に図解するとこのような感じだ。

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(*すいません、元請け・二次請け・三次請けの順番が逆でした。)

まぁこれだけ中に多くの企業が入っていると、当然中抜き・ピンハネと呼ばれる行為が行われている。1社5万円かもしれないし、元請けの方は10万円20万円抜いているかもしれない。ちなみに知り合いの会社は1人100万円で派遣する場合、35万円を会社がもらっていると言っていた。

なぜ下請けが多重構造になるのか?

働く側からしたら「なぜ多重下請けになるんだ!ピンハネしすぎだろ!」と思うのは当然だ。しかし今のシステム業界では多重構造が適しているし、なによりこの多重下請け構造に代わる方法が出てこない限りは構造は変わらないだろう。

下記にその図を書いたので見ていただければわかるだろう。

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いわゆる「ネズミ講」や「ネットワークビジネス」と同じような図になっているが、多くの下請けがいることで、派遣先の企業というのは2つのメリットがある。

1つ目のネットワークというのは多く下請けを持っていたほうが、元請けの企業も多くの人材を企業に派遣することができる。仮に元請けは二次請け10社と契約があり、その企業がそれぞれ10社の三次請けとのネットワークがあるとしよう。それぞれの企業が20人の人材を抱えているとすると、元請けは2000人以上のエンジニアを調達する力がある

これは下請けネットワークがあるからこそできることだ。例えばみずほ銀行のシステム改修など、何千・何万人のシステム人材が必要なプロジェクトの場合は特に人材をいかに手当するかが課題となる。そうなると、やはり下請けでのネットワークで見つけるほうが楽であり、早いのだ。

もし下請け構造がなければ、銀行システムの改修などの大きなプロジェクトの場合、直接元請けが数千人を探してこなければならない。それだけの労力をかけることは今の時点では難しいだろう。そしてこれはリスクヘッジにもつながる。

一つの企業が1000人・2000人と言った膨大なエンジニアを抱えているとした場合、1社が何かしらの問題があり、契約が切れた場合には一気に人材不足の陥る。それが10人20人単位であれば、他の企業でカバーできるようになるだろう。

また元請け企業としても1000人・2000人のシステム人材を抱えるのはリスクは大きいし、契約も煩雑になり、管理も大変になる。だから元請け企業も下請け構造を維持し、下請け企業を多く持つ方が楽なのだ。

下請けに代わる人材調達方法の提案を

というわけで、企業というかビジネスを進める上で下請構造というのは非常に利便性が高い。「ピンハネやめろ!」というのはわかるが、ピンハネするのはそれだけの理由・メリットがあるのだから正当性がある。

もし労働者側がピンハネをやめてほしいというのであれば、直接企業と雇用契約を結ぶことが、下請けでの企業調達よりも楽である・得であるという状況を作らなければならない。でなければ、企業側がこの下請構造を手放すとは思えない。

労働者側が新たな人材調達・リスクヘッジの方法を提示しない限り、企業側は動かないだろう。数十年後、私が死んでも下請構造は続くことになる。