ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

【感想文】アドテクに関わる人は絶対に読むべき書

ザ・アドテクノロジー データマーケティングの基礎からアトリビューションの概念まで

ザ・アドテクノロジー データマーケティングの基礎からアトリビューションの概念まで

 

いやー、アドテクノロジーはおもしろいね。個人的にほんとにアドテクが好きで、いろんな数字を見たり、いろんな人の動きを見ると「あー、すげー!そうなんだー!」なんて思うわけで。

広告の技術という意味でアドテクというわけだけど、どこまでをアドテクというか?というと難しい。本書ではアトリビューション、つまりユーザーが最初に接触してから購入するまでという長い道のりも含め、アドテクとしている。

何がどれだけ売上に貢献したの?

今や広告は4大マス広告だけでなく、ネット広告もあり、ネット広告もかなり多様化している。検索連動型広告だけでなく、アドネットワークもあればSNS広告もあるし動画広告もある。そういった広告がどれがどれだけ売上に貢献したのか、わかるだろうか。

例えば最初にテレビCMを見て、そのブランド名を覚えてインターネットで調べ、そこで購入につながったとしよう。この場合、売上に何がどのくらい貢献したのだろうか?キーワードで上位表示させるSEO対策がどのくらい貢献したのか、想起させたテレビCMはどのくらい貢献したのだろうか。

そういった広告を細かく評価していくために、アトリビューションという考え方が使われている。アトリビューションはアドテクと言えるかは直接的には難しいが、これがなければ、広告を正しく評価することはできない。広告だけでなく、他のプロモーション等も評価が難しくなる。

というように、今やどの広告がどのくらい何に貢献したかというのを細かく測定する時代になったのだ。アドテクは人間の動きを細かく分析するようになったのだ。

アドテクの世界に進む方、募集中

それ以外にも今やECサイトでは見逃すことができないデータフィード広告や基本的なネット広告に関する考え方などについても書かれていて、非常に読みやすい。最後にある対談はアドテクに関わる人達のキャリアを考える上で、非常に重要だ。

少しでもインターネット広告やリアルでのプロモーションに関わっているという人は読んだほうがいいだろう。

ザ・アドテクノロジー データマーケティングの基礎からアトリビューションの概念まで

ザ・アドテクノロジー データマーケティングの基礎からアトリビューションの概念まで

 

【感想文】小辻節三以外にも歴史に埋もれた偉大な功労者はたくさんいるはずだ

命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民

命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民

 

命のビザをご存知だろうか?杉原千畝、日本のシンドラーと言われる人がユダヤ人にたくさんの渡航ビザを発給し、ユダヤ人の多くが日本にやってきた。杉原千畝によって多くのユダヤ人が救われたという話は近年になって有名な話になった。

実は杉原千畝が発給した命のビザで日本にやってきたユダヤ人たちを支援した日本人がいたのだ。多くの日本人がユダヤ人を助けたが、その中でも小辻節三はユダヤ教に改宗し、ユダヤ人としてエルサレムに埋葬されるほどの人だった。

ユダヤ人を直接・間接的に助けた小辻節三

小辻節三はアラブに関しての研究からユダヤに関する研究を行う学者だった。ヘブライ語を学び、ナチスドイツが行うユダヤ人虐殺について公然と反対していた人物だった。日本でユダヤ人に関しての正しい認識をしてもらえるように本を出版するなど、危ない橋も渡っていた。

最も小辻節三が感謝されているのは神戸にやってきたユダヤ人たちのビザを期限延長させたことだろう。杉原千畝の話は有名になったが、ビザを発給して日本に逃れたというユダヤ人がその後どうなったか?というのはあまり知られていない。シンドラーのリストもそうだが、ラストはロシア軍に保護されるが、その後のことは語られていない。

確かにシンドラーも杉原千畝もすごいのだが、ユダヤ人がナチスドイツから逃れるには更に終戦し、自分たちの故郷に戻るまで戦い続けないといけない。杉原千畝の命のビザからバトンをつなぎ、日本での生活を延長させたのが小辻節三だったのだ。そしてその後ユダヤ人の多くが上海に行き、最終的には故郷に戻れたようだ。

小辻節三のような活動は杉原千畝の活躍に比べると、地味に見えるかもしれない。しかしこのように歴史では光を浴びていないが、非常に重要なことをやってのけた人物というのはまだまだたくさんいるのだろう。そして粛々と正義に基づいた行動をやってのけた人は、後世の人々が発見してくれるのではないかと思う。

多くの人達がバトンをつなぎ、今があるというのを教えてくれるいい本だった。

命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民

命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民

 

 

【映画】奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ~人は変われる、成長できる

とある落ちこぼれクラスの話。成績も悪く、他の先生からも見放されていたクラスが担任ゲゲン先生からの提案で、歴史コンクールへ出場することに。コンクールでの発表のためにみんなでレポートを作成して行く過程で徐々に生徒たちは変わっていく…という内容。

青山シアターで有料ではあるが安い値段で見ることができるので、結構おトクなのではないか?と思う。324円なので、だいたい昔のTSUTAYAで1本レンタルするくらいの値段だろう。

人はきっかけさえあれば成長していける

落ちこぼれのクラスということもあって、多くの先生に見放されてしまったわけだが、彼らが変われたのはなぜだろうか?最初から優秀な人もいるだろうが、落ちこぼれとされた彼らが変わっていったのはコンクールがきっかけなのは間違いない。

ただ、コンクールに出ることになったのは2つのきっかけがあった。

一つがコンクールを提案したゲゲン先生の存在だ。途中、先生と生徒の信頼関係が深まっているのがわかる場面があるが、生徒が先生を信頼したのはゲゲン先生が彼らをずっと見守っていたからだろう。他の先生のように諦めなかったことで、先生と生徒の信頼が築かれたのではないかと思う。

二つ目がコンクールに出るとクラスの多くがほんの少しの勇気を出して、参加したことだ。きっかけというのは世の中にいくらでもある。自分が変われるチャンス、自分が成長できるきっかけというのはたくさん転がっているが、そのチャンスやきっかけを掴むのは自分自身のほんの少しの勇気だ。

この落ちこぼれと言われていたクラスには、そのほんの少しの前に進む勇気があった。勇気がなければ彼らは変わることがなかっただろう。もっと言えば変われたのはゲゲン先生のきっかけもあるが、彼らがそのきっかけを掴んだことであり、自分自身の力で変わっていったのではないだろうか。

人は変われる、成長できる。特に10代の若い子どもたちは間違いなく変われる。そのためのきっかけを大人たちは彼らに見せ、提供していく義務があるのではないだろうか。

現場の先生には生徒へ懲戒処分を行う手段がないから体罰につながる

blogos.com

ワイドショーなどで度々動画が流されたので、多くの人が知っているかと思うけれども、高校教師が生徒を殴った動画が拡散された。そこで武井壮さんが体罰はダメという話をしているが、全くそのとおりだと思う。体罰はダメ、そのとおりだ。しかしこれは「戦争はダメ」「人殺しはダメ」と言っているのと同じに過ぎない。

つまり原則論を話しているだけだ。原則論としては武井壮さんの言うとおりだ市、反論の余地もない。とはいえ「戦争はダメ」と言っても戦争が行われているし、「人殺しはダメ」と知っていても殺人は行われている。そこに至るまでの理由が必ずあり、その理由を深掘りしなければ原則論に沿った運用はできない。

挑発されたら先生はどのように対抗できたか?

今回、暴力に及んだ理由は明白で生徒側が手を出させようと画策し、挑発をし続けた。そこで我慢ならなかった先生が殴ったわけだ。つまりこの生徒側の挑発が起因となっている。もし教育として指導するのであれば、この挑発の段階で指導しなければならない。

ではこの高校教師は生徒に対してなにか出来ただろうか?学校教育法にはこのように書かれている。

学校教育法第11条(児童・生徒・学生の懲戒)

校⻑及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。

学校教育法施行規則第26条第2項

懲戒のうち、退学、停学及び訓告の処分は、校⻑が行う。

ここでポイントとなるのは停学・退学・訓告といったことは校長しかできないのだ。では教員が行うことができる町会とはどういうものか?文部科学省が事例を出しているので、引用してみる

(2)認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。)
 ※ 学校教育法施行規則に定める退学・停学・訓告以外で認められると考えられるものの例 

  • 放課後等に教室に残留させる。
  • 授業中、教室内に起立させる。
  • 学習課題や清掃活動を課す。
  • 学校当番を多く割り当てる。
  • 立ち歩きの多い児童生徒を叱って席につかせる。
  • 練習に遅刻した生徒を試合に出さずに見学させる。

 さて、あの挑発し続けた生徒への懲戒として、教員は何が出来たのだろうか?彼に清掃活動を課せばよかったのか?授業中に見学させるのがよかったのか?おそらく、そういうレベルではないだろう。訓告・停学が必要なレベルだったのではないかと思う

であればこの教員にできることは何もなく、校長に報告して訓告・停学を行ってもらうしか無い。

校長が動かなかったらどうしたらいい?

というわけで、この状況で教員が体罰・暴力ではない方法を使うとしたら、校長への報告だろう。そして校長に停学や訓告をしてもらうというのが筋だと思う。

ただ、筋としてはそのとおりなのだが、校長が動かなかったら?という場合がある。校長が問題を起こしたくないという保守的な人だと、この問題を学校内だけで治めるために何もしないということを選ぶことだって考えられる。つまり校長によってはこの生徒による挑発行為を問題にしたり、問題にしなかったりしてしまうのだ

ここにシステム的な問題がある。もっとオートマチックに訓告・停学を行うような方法がいいだろう。こういう行為があったと職員会議にかけて停学が望ましいという結論が出れば、そのままオートマチックに停学が認められるようになるべきだ。そうすれば教員は抵抗手段ができる。ただし教員の暴走も考えられるので、職員会議で認められたものを校長が拒否権を持つなどするのも必要だろう。

できることがないから、暴力につながる

どのような場合にせよ、このような異常な行為が行われた時に教員にできることがなさすぎる。だからこの教員は暴力という手段を選んだわけだ。暴力を選ぶのは簡単だ、すぐさまに罰を与えることができるわけだから。そういった暴力につながらないようにするためにも、教員へもう少し懲戒の権限を与えないといけないだろう。

今の状況では教員だけが疲弊しかねない。例えばこういった状況があったら、すぐに警察が飛んでくるようなシステムでもいいと思う。教員にすべて任せるには荷が重い。私も教育者の知り合いを何人か知っているが、彼らも一人の人間であり、聖人ではない、普通の人間だ。

普通の人間が教師を行っているのだから、一般の人間が無理のない状況で教育できる現場・仕組みを作らなければならない。文部科学省や教育委員会はこの状況を強く受け止め、しっかりと改善を行ってほしい。

ZOZOのオーダースーツより安くて良いお店はたくさんある

何かと話題のZOZOがオーダースーツを出したのだが、いろいろと批判が多い。例えば有名なところで言えば本田さんが実際に購入して、あまり良い出来ではなかったということを書いている。

まぁこういう批判が多いということもあって、R25ではZOZOのオーダースーツに関してのインタビューが載せられている。実際、このインタビューについても賛否両論なところがあるようだ。

オーダースーツは今や安く手に入る

ZOZOのオーダースーツより安くて良いお店はたくさんある

みなさんはオーダースーツというとどういうイメージがあるだろうか?多くの人は「高級なイメージ」を持っているんではなかろうか。場合によっては何十万円もかかって作る、ダンディなお金持ちのオジサマが作るもの、と考えている人もいるかも知れない。

しかしZOZOのオーダースーツは39,900円と既成品と遜色ない値段だし、もっと安いところもある。生地はそれなりのものを使っているし、何より店舗で採寸して販売員と話をしながら決められるので、いろいろ注文もつけやすいのだ。

普段スーツを着ない私だが、営業マン時代は毎日スーツだった。毎日スーツなので、3着ほど持っていて、それを着回していたくらいだ。しかも太っていたのでスーツを買うのが大変だった。大きめスーツのお店に行ったりしていたが、既成品だと結構高くて1着5万円くらいしていた。

太っていたり痩せていたりすると、既成品のスーツは使いづらい。そんな時にオーダースーツが便利なわけで、安くて使いやすいところで言えば初めての利用だと19800円で購入できるSADAだ。ちなみに私もSADAを使ったスーツを1着だけ用意し、何かある時に使っている。

品質は?といえば、既成品で購入していたものと変わらないと個人的に思う。既成品ではなかなかサイズも見つからなかったのだが、オーダースーツだと非常に着心地もいい。肩こりも減ったような気がする。安くて良いオーダースーツが今はすぐに手に入る時代なのだ。

SADA以外にもある、安いオーダースーツ店

まさか20,000円くらいで購入できるなんて思ってもいなかったが、SADA以外にもこのくらい安くで購入できるところはたくさんある。

エムツープラントも安くでできる。30,000円以下で作ることができるし、はじめての人には更に安くで購入できるプランもあるようだ。私の地元、伊丹にもある。

また大阪だと結構見かけるダンカンなんかも安い。こちらはツーパンツオーダーもあるというのも魅力的だ。30,000円以下で購入できるようなキャンペーンもある。

最後は大阪人だとよく知っているツキムラだ。ツキムラのすごいところは3着50,000円という安さだ。確かに同じサイズのものを作るとなれば、それだけコストダウンできるのだろうが、50,000円だと既成品では2着買えるかどうかだろう。私みたいに太っていたら1着で50,000えんする。それをオーダーで3着も買えるのだからすごい。

というようにオーダースーツというのは今や安く作ることができる場所はたくさんあるのだ。ZOZOのオーダースーツがすごいすごいと言われているが、実際オーダースーツは安く良いものがたくさんできているというわけだ。

営業を学ぶには商社が一番だと思う理由

delete-all.hatenablog.com

フミコフミオさんの文章は最近仕事の調子が良いこともあって、以前の自虐的な文章から変化している。個人的には「きっつー」がたくさんでてきたブログも悪くはなかったし笑えたが、今のフミコフミオさんの文章も好きだ。ずっと見てきた人が日の目を見て、幸福度が上がっているならそれは読者としても嬉しいもんだ。

さて、今回は営業についてのお話をされている。営業については私も商社時代にやっていた。今は営業らしい営業はしていないのだが、商社で行っていた営業はまさにフミコフミオさんが言うようなものだった。たぶん、商社は営業の真髄がすべて埋まっていると思う

営業を学ぶには商社が一番だと思う理由

売るものが無いから考える

そもそもだが商社というのは中抜き商売と言われるように、基本的に売るものを持っていない。メーカーや製造業なら売るものが明確に決まっているが、商社の場合は決まっていない。売るものがないから、「何をどうやって売るか?」というのを考えないといけない

例えば私は自動販売機の設置斡旋というものを行っていた。単純に「自動販売機設置しませんか?」だけだと、断られるし大した金額にならない。しかし工夫次第では自動販売機を簡単に設置する、というような流れにすることも営業次第では可能だ。

その一つがコンビニを入れるというものだった。コンビニを向上や商業施設などに入れることで、そのコンビニとセットで自動販売機を設置するというものだった。コンビニ+自動販売機というコラボで提案することで成約率が格段に上がったし、販路も広がった。

フミコフミオさんはこのように書かれている。

僕の考えてる営業の仕事は、ひとことでいうと相手を知ることだ。知る対象は見込み客やクライアント、取扱う商品やサービスはもちろんのこと、自分の会社や関係部署や現場の状況も対象になる。大ざっぱに分類すると、自分、会社、客。営業の仕事とは、この3者を知り、橋渡しをすることだ。

商社の企画提案する営業というのは、最初からこの形を意識せざるを得ないのだ。売るものがないからこそ、関係各所と調整する。そして関係各所の力を最大限使った上での提案をさせてもらうのだ。商社はハブであり接着剤のようなものと考えて良いだろう。

数字だけで取引を切れなかった

またフミコフミオさんは下記のように、営業で案件・仕事を断ることについても書かれている。

良好な関係が築けなければ案件の継続も難しく、消耗することになるだろう。「営業の成果=関係者の良好な関係の構築」とするならば、そういった案件を断ることも営業の仕事となる。営業の仕事で難しいのは、仕事を断ることである。なぜ難しいのか。それは積み上げてきたものをゼロにすることだからである。労力・時間をかけた分実質はマイナスになってしまうからだ。

私もこの難しさはよく分かる。私が営業をやっていたときはノルマは個人に課せられてはいなかったのだが、それでも部署として数字を上げる必要はある。そのため、少しでもいい売上をと考え、新規の売上をどんどん狙っていった。

その際、すでに取引が小さくなっている昔からの取引先に商流を流すか、それとも今から伸ばしていきたい企業に商流を流すかという判断があった。当然、我々は先輩も含めて伸ばしていきたい企業に商流を流したいと考えていたが、上司たちは古くから付き合いのある企業を優先するように命じた。

結局、古い企業側に商流を作ったと思うが、そこからなにか広がるような展開もなかった。もし新しく伸ばしていきたい企業に商流を変えていれば、展開は変わっていたと思う。付き合いがながければ長いほど、このような断るというのは難しいのだなと今になってよく分かる。

 

若い人も営業をするならぜひフミコフミオさんの文章は読んでほしい。そして、商社に入って学ぶのを個人的におすすめしたい。

IT化や設備投資をするより自殺したほうがコストが安い

rootport.hateblo.jp

このデマこい!さんが書かれている記事は基本的に俺も同意だ。ITや機械化によってより効率的になっていくに越したことはない。我々は福祉系のサービスをしているので、直接的に子どもたちと接する場所以外ではガンガン効率化すべきだと思うし、直接触れ合う場所でも、効率的にできるならやっていくべきだ。

ウェブマーケティングでも機械学習などを使うし、ウェブサイト制作でもテンプレートを使ってスピーディーに制作するなどいろいろ工夫している。けど、中小零細企業の社長さん・経営者はこういう「一人あたりの効率化」っていう考え方があんまりないな、とは思う。

経営者は最低賃金が上がると、どうするか?

デマこい!さんが書かれているのは賃金が上がれば、その分機械やITなどを入れて一人で生産できる量、つまり売上の量を増やそうというものだ。確かにそのとおりだと思うが、なぜ中小零細企業の社長はそういうふうに考えないのだろうか?

例えばここ数年、最低賃金がどんどん上昇しているが、中小の企業経営者は最低賃金が上がるとどう考えると思うだろうか?

最低賃金が上がっていくと、人件費が上がって利益が縮小し企業は逼迫していく。場合によっては赤字になるだろう。その場合、人件費を削るわけだが、最終的に人件費も削れるだけ削ったら、どうするのか?

人件費や経費を削れるだけ削ったら、日本の中小零細企業の経営者は自分自身を削るのだ。具体的に言えば、自分が寝ずに働いて挽回しようとする。場合によってはそこに家族も巻き込んでなんとかしようとする。自分自身も家族も人件費はゼロにすることだってできるから、最大限まで自分たちが働くわけだ。

結果的に挽回出来ない場合は最終的に彼らの命を持って代償が支払われる。簡単に言えば自殺して保険金で会社を清算するというわけだ。本来なら自己破産でいいのだが、真面目な経営者ほど自己破産ではなく自殺を選んだりするものだ。

つまり中小零細企業の経営者は新しい機械を入れるだとか、IT化して一人あたりの生産性を上げるよりも自分自身を削って売上・利益を上げるほうが安いと考えるのだ。経営者は最大ゼロ円で使えるわけで、コストがかからないという点では設備投資はどうやったってかなわない。

経営者のマインドを変える必要がある

こういう非生産的なスパイラルを断ち切るためには、経営者のマインドを変えるしか無い。経営者が自己破産や民事再生を選びやすいようにする、経営者が自殺しないような仕組みに変えるというように、仕組み自体を変えなければならないだろう。でなければ少なくとも中小零細企業の社長は変わらない。

また、コストを掛けるということはどこかから資金調達しなければならないということでもある。コストを掛けるための資金調達の敷居を下げる必要はあるだろう。具体的には金融機関からの借り入れをしやすくする、もしくは直接金融をもっと活発にするなどがあるだろう。

結局、日本の中小企業は借り入れを中心にして運営し、借り入れでは大きく設備投資やIT化を進めるには向かない。もっと直接投資のように思い切った投資ができる状況を作らないと、日本は一人あたりの利益を増やす方向には進まないのではなかろうか。人手不足で企業業績が上向いていくということがはっきりとわかる企業に、もっと資金が集まるべきだろう。

会社の事情より自分自身の幸せやキャリアを優先すべき

タイトルの通りなんだけど、人がいい方は会社のことをすごい心配する人がいる。「俺がいないと会社が回らない」とか言う人いるよね?会社のことを優先する。まぁお客さんがいるわけだから、会社の仕事は大事ではある。

でもね、会社の都合よりも考えないといけないことは自分自身の幸福じゃないかな。例えば家族といる時間を大事にするとか、友達に会いに行くとか、趣味を大切にするとか、いろいろ幸せの形ってのはあると思う。

みんな同じ幸福の形というのは?

「幸福の形は同じ」とトルストイのアンナ・カレーニナでは書かれている。たぶんそれは本当だと思う。細かく言えば自分の趣味に没頭するのが幸せという人もいるし、仕事に没頭するのが幸せという人もいるし、家族と一緒にいるのが幸せという人もいる。内容自体はバラバラだろう。

ただ、全てに共通して言えるのは「自分で考え、自分の気持ちに正直に向き合い、自分で決定する」ということだろう。考える自由があり、決定する自由があることが大事だ。仕事が好きという人も、誰かに言われてやらされる仕事ではなく、自分で考えて自分で動く仕事が好きなのではないだろうか。

趣味に没頭する人も自分の気持ちに嘘をつかず、正直に向き合って自分で決定しているからこそ、幸福なのではないか?家族を大事にするのも、ほかもすべて同じだ。

つまり幸福のために大事なことは自分で考えて、自分の気持ちに沿って決定することであって、会社の事情を第一に考えて自分自身を犠牲にすることではない。そんなことのために自分の人生を無駄にすべきではない。

会社経営者から見てどう思うか?

俺も小さいながら会社を経営しているわけだが、従業員の方々が会社のために頑張ってくれるのは嬉しい。ただ、いつも俺が言っていることの一つに「誰かの犠牲で誰かが幸福になることはあってはならない」という事がある。

これは「障害を持つ子供が生まれた家族が、子供のために仕事や趣味や自由時間、自分の人生を犠牲にしてその子のために介護をすることで、家族の幸福度が下がる」というお話を聞いてから大事にしている。確かに手厚く介護をしてもらえた子供は幸福度が上がるが、家族の犠牲でそれが行われるべきではないという主張があるのだそうだ。

私もこれは同感だ。従業員の犠牲の上に会社が利益を出すということは社会全体で見ればプラスになっていない。従業員の人が幸福であり、そして会社も利益を出せば、社会全体でプラスになっている。もちろん会社の方針と自分の幸福の方向性が違う場合もあるから、そういうときは自分の幸福の方向性を優先すべきではなかろうか。

なので私はその人のキャリアを考えて、うちの会社が合わないというならすぐに自分の幸福の方をとってほしいと考えている。人手不足なのでやめてもらわれると困るけれども、それ以上に不幸な人がうちの会社から生まれるのはさらに困るのだから。

というわけで、自分の幸せは何に置いても優先すべきだろう。日本という恵まれた地域に生まれた我々には、幸せになる義務がある。