ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

昭和的・平成的労働価値観からどうやって脱却するのか

きっかけは下記のブログだった。「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」というのが日本になくなっているという話だった。特に製造業が衰退し、中国や東南アジアに生産拠点が移されていることで、「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」がなくなったとのこと。

blog.tinect.jp

確かに説得力あるなと思う反面、別にそれは日本だけのことではなく、アメリカや欧州も同じだ。アメリカの場合はインドにIT系の仕事も取られたし、工場は同じく中国・東南アジアに取られていて、日本以上にダメージはでかい。欧州も経済発展によって工場を中国に移すなどしているところは多い。

現代の「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」は?

最初に紹介した記事では、日本の製造業が衰退し工場で働いていた人たちはどこに行ったか?という問いに対し、このように書かれている。

では、かつて工場が吸収していた雇用は、どこへ行ったのだろうか?

それは、スーパーマーケット、コールセンター、介護事業などの、労働集約的なサービス業に吸収されたのである。

確かにそうかと思うが、実はそうではないようだ。私が以前書いた過去の記事を参考にしてみると、実はスーパー(小売)や介護、コールセンターなどよりも、事務作業の方に多くの人が向かっている。「東京のハローワークでは事務職の求人25,824件に対し、応募者が46,850人にのぼる。東京の例ではあるが、多くの労働者は事務職を目指すようになった

おそらくこの事務職こそが「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」だと、昔は工場で働いていた労働者層には思われているのだろう。労働負荷はさほど高くはなく、むしろ一般事務や経理事務など、決算期などを除けば楽な方だろう。給料もそれなりだ。東京のハローワークでは事務職の正社員求人の平均給与は230,498円だそうだ。

t-matsumoto.hatenablog.com

ただ、残念ながら事務職を目指している人のおよそ半分は、希望の職にたどり着けない。なぜなら今や人手不足と言われている時代でも、事務職の有効求人倍率は1を下待っているのだ。多くの人は事務職ではなく、別の職につかなければならない。その時に介護やコールセンター、スーパーマーケットなどの職についているのだろう。

なぜ事務職以外が選ばれないのか?

事務職が「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」だと認識されているというのは、私も理解できる。しかし逆に言えば、他の仕事はどうして「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」と認識されていないのだろうか?

例えば有効求人倍率が15.21倍の「保安の仕事」は給料が最も安い(203,884円)。なのでそれなりの給料がもらえないために、人気がないのは理解ができる。だが、「事務的職業」(230,498円)より給料の高い「福祉関連の職業」(238,854円)や「輸送・機械運転の職業」(250,653円)、「建設・採掘の職業」(253,531円)はなぜ人気がないのか?

よくネット上では「給料を上げれば人が来る」と言うが、そんなのは嘘っぱちだ。給料が最も高い「管理的職業」(405,274円)は1.35倍と給料が最も高くても求職者よりも求人数のほうが上回っている。給料を上げれば人が来るわけじゃないのだ。

「そこそこ簡単で、それなりの給料と地位が約束される仕事」は分解すると条件が3つに分類される。

  • そこそこ簡単な仕事
  • それなりの給料の仕事
  • それなりの地位の仕事

この3つを満たしている仕事が少なくなった、ということだ。

「福祉関連の職業」(238,854円)、「輸送・機械運転の職業」(250,653円)、「建設・採掘の職業」(253,531円)の3つについてはそれなりの給料の仕事であることは間違いない。簡単かどうかと言われると一言では言えないが、大学卒などの学歴が必要なわけではないので難しくはないだろう。

一方の「管理的職業」(405,274円)は給料はそれなりどころか高い。そして地位もそれなりどころか高いだろう。ただ、簡単な仕事ではない。

この3つを満たす仕事は少なく、2つを満たす仕事は多くあるというのが現状だろう

それなりの地位とはなにか?

3つの条件の内、最も曖昧なものが「それなりの地位の仕事」だろう。これは一言では表せないのだが、おそらく自分自身の仕事への満足度のことだと考えるのが最も近いのではないだろうか。その昔、炭鉱労働者や工場労働者は社会からも必要とされていたし、社会を構成している自負を持っていたと思われるが、それが「それなりの地位」なのではないかと思う。

そこで、日本人の仕事の自負や満足度などに関して、労働白書で下記のような図を見つけた。

f:id:outroad:20180710181917p:plain

仕事の満足度に関してのグラフだが、1984年をピークに下がっている。1984年~1987年に何が起きたかと言うと、象徴的な出来事がプラザ合意だ。固定相場であった日本円が変動相場制に切り替えられ、急速に円高に向かっていった。円高になれば、日本で作った商品を海外で販売した時に得られる金額が減少する。1年でドル円相場は半減したとされる。

つまりこのとき製造業がダメージを受けたわけだ。そうして、一気に多くの人たちが仕事のやりがいを始めとした、様々な指標が落ち込んでいる。日本のメインであった製造業がダメージを受けたときに、日本の仕事への満足度は落ちたのだ。最初に紹介した記事の言う通りだったのだ。

どうしてサービス業はそこそこの地位になれないの?

ただ、それでも疑問は残る。なぜ介護や小売、サービス業がそこそこの地位の仕事であると認識されなかったか?だ。給料が安いのは労働集約型だからだ。しかし最近は人手不足もあり、事務職よりも高い金額で正社員になれる仕事だ。給料が上回っていて、そんなに難しくない仕事でも、事務職より人気がないのはなぜなのか。

ここで見てみたいのがリスクモンスター株式会社が発表した第4回「就職したい業界ランキング」調査を見てみよう。1位から10位まで、下記の通りとなっている。

  1. 国家公務員
  2. 地方公務員
  3. JAL
  4. ANA
  5. 日清食品
  6. Google
  7. 森永乳業
  8. 明治
  9. ソニー
  10. 味の素

ここで見るべきはJALだろう。2019年3月卒業予定の学生なので、JALが破綻したときはだいたい中学生に入ったところくらいだろう。であれば、JALが破綻したことはなんとなくわかっていると思う。少なくとも就職活動の中でそれくらいは学ぶはずだ。

それでもANAよりもJALが上に来ているのだ。そして相変わらず1位2位ともに公務員だ。これに共通しているものはなんだろうか?それは将来への安定だろう。もちろんいつまでも安定しているということはないのだが、それでも少なくとも今の時点で最も安定しているものを選択しているといえる。

思えば過去に「そこそこの地位の仕事」で周りもリスペクトしていた職業も、将来安定していると思えるような仕事だった。炭鉱もそうだ。日本のメインエネルギーとなると思われていたし、石油に取って代わられるなんて誰も思っていなかっただろう。1980年台に製造業で働いていた人の中に、誰が中国・韓国が台頭してくると予想できただろうか?

加えてこのランキングを見ると、若い就活生も転職をする気はなさそうだ。一社で勤め上げられつ企業を上げている。つまり、安定というのはその企業にずっと勤め上げられる、40年勤められるところと考えているのだろう

サービス業は安定的に続けられる仕事?

翻って人気のない職業はどうだろうか?飲食系はすぐに潰れるし離職率も高い。給料もそこまで高くない。介護職も最初の給料は事務職よりも高くても、まだ将来の見通しが立ちにくい。採掘の仕事は今後も人気が出ることはないだろうし、輸送業のヤマト運輸なんて国と真っ向から対立しているため、JALのように助けてもらえることはないだろう。

そう考えれば、サービス業というのは安定しているとは言い難い。業界全体では安定しているとしても、1社で安定して40年勤め上げられると考えられる企業は乏しい。だからこそ人気がないし、製造業のように「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」とみなされないのではなかろうか。

日本の職業教育は正しかったか?

今までは職業の方をメインに考えてきたが、逆に労働者についても考えてみたい。破綻したJALや安定しているからという理由で公務員を選ぶ上記大学生を見て、職業教育は正しかったと言えるだろうか?

今の時代、安定している企業なんていう物自体がないはずだ。一つの企業に勤め上げる人は少なくなってきて、転職が増えてきている時代に、安定しているからという理由で就職先を決めるような状況は良いことなのだろうか?

一昔前ならそれでも良かっただろう。しかしそのような考え方では労働者の多くが路頭に迷う可能性がある。地銀や山一證券は潰れることはないと思っていたが潰れたのだ。JALもそうだ。国だってどうなるかわからない。そんな時に1980年台の働き方を目指す若者を作ってよいのだろうか?

その答えは「No」であることは明らかだ。日本は確実に職業教育に失敗してきている。

昭和的労働に未来はあるか?

私は別に大学生を批判しているんではない。大学生は現在において、合理的な判断を下しているだけだ。それ以上に我々大人、そして職業教育における日本のシステムが失敗していることを批判しているのだ。

今後日本の未来を背負う若者に昭和的労働(=一つの会社に定年までつとめあげる)が正しいと言えるのだろうか?私は正しいとは思わない。いい・悪いは別としても一つの会社に勤め上げるのではなく、良い会社に転職していくために、自分自身の軸となるスキルを身につける、そのような労働のほうが良いのではないかと思っている。

その一つが下記の記事だ。

note.mu

自社の宣伝も欠かしていないが、靴職人として神戸のど真ん中、地方都市で靴職人をされている方々が映し出されている。そう、彼らは靴職人として神戸だろうが大阪だろうが、それこそベトナムだってアメリカだってやっていけるスキルを身につけているのだ。こういったポータブルなスキルは若いうちからだって学べるはずだ。

翻って大学に通って卒業した若者を見てみよう、彼らになにかポータブルなスキルはあるだろうか?コミュニケーションが得意な人はいいだろう、営業はどこでもできるしマネージャーになることもできる。しかしそうではない、普通の人はどうすればいいのだろうか?大学を出た彼らは、一つの会社を勤め上げる道以外、選べないのだ。

これはもう完全に職業教育の失敗であるとしか言えない。彼らが高校生の時に職人としての力をつけておけば、彼らが大学の時に職業訓練を2年間受けていれば、事務職を目指さなくても良かったのだ。彼らは日本の失敗した職業教育の犠牲者になってしまったのではなかろうか。

昭和的・平成的労働からの脱却を

平成ももう終わろうという時代でも、若者が平成的・昭和的な労働価値観を持っているというのは良いことなのだろうか。一つの会社に勤め上げ、特別なスキルももたず、「そこそこ簡単で、それなりの給与と地位が約束される仕事」を求めてさまよう若者を生んだことは正しいのだろうか。

今年35歳になる私も、若者の今後を背負う人間でもある。どのみちを若者に勧めるべきか、考えねばならない。

忖度ジャパンもベスト16ももうお腹いっぱいです。

というわけで日本代表のサッカーワールドカップはベスト16で終わった。寝不足の人をたくさん生んだ見返りは「感動をありがとう」だそうだ。まあ確かに頑張っている姿に感動はする。しかし振り返って考えてみれば、日本の目標は「ベスト8進出」だったはずだ。

過去ベスト16には2度進出している。日韓ワールドカップ、そして南アフリカワールドカップだ。1998年から常連でワールドカップに出ているのだが、予選敗退とベスト16を繰り返している。20年、同じことを繰り返しやっている。

20年がサッカーに置いて短いか長いかはわからない。98年から数えて6回目の出場となるわけだが、ナイジェリアも6回出てベスト16が最高成績、コロンビアは今回まだわからないが、ベスト8まで進出している。ポルトガルも6回出場していて1966年に3位、2006年に4位になってからは、ベスト16とグループリーグ敗退を繰り返している。

今回もポルトガルはダメだったし、アフリカ勢は軒並み予選敗退だった。予選を勝ち抜くのも難しいし、ベスト8になるのも難しい。それはわかっている。しかしベスト8になるという目標を立てたのなら、どうやってベスト8になるのかを今後4年間模索しなければならない。

少なくとも西野監督は「何が違うんでしょうね」と試合終了後の会見で語っていたように、ベスト8に進むための確固たる答えというのを持っていない。ハリルホジッチが持っていたかどうかはわからない。今後はこの「ベスト8に行くための答え」を探す必要がある。

「感動をありがとう」もいいが、明日にはもうベスト8に行くための方法を探しだしてほしい。それは西野監督と行うのか、それとも他の監督と行うのかわからないが。ワールドカップが終わるたびに「感動をありがとう」で締めくくっていたら、いつまでたってもベスト8に行くことはできない。

我々ファンもそろそろ厳しい目を持たないといけないのだろう。

「企業はもっと給料を上げろ」だけでは人手不足は解決できない

ちょっと気になることが合ったので、給料と求人倍率についての関連性を調べてみた。よく「人手不足なんだったら給料を上げろ」という声がネット上で聞こえる。この言説、逆に言えば「給料を高くすれば人手不足が解消される」ということだと思うが、本当だろうか?

東京都のハローワークが職業別の給料と有効求人倍率をまとめてくれていたので、それを使って考えてみたい。

職業別有効求人・求職状況 及び 求人・求職賃金状況 | 東京ハローワーク

給与の高さと有効求人倍率の関連性について

職種 有効求人倍率(正社員) 賃金状況(正社員) 有効求人倍率非正規社員 賃金状況(非正規社員
保安の職業 15.21 ¥203,884 19.47 1045
農林漁業の職業 0.78 ¥210,349 2.05 1042
運搬・清掃等の職業 0.69 ¥217,927 1.82 1006
サービスの職業 5.02 ¥221,441 6.5 1032
生産工程の職業 1.79 ¥230,255 2.38 1067
事務的職業 0.55 ¥230,498 0.7 1082
福祉関連の職業 3.93 ¥238,854 4.95 1360
輸送・機械運転の職業 3.13 ¥250,653 3.67 1102
建設・採掘の職業 5.95 ¥253,531 1.5 1185
専門的・技術的職業 2.3 ¥272,033 2.29 1520
販売の職業 2.97 ¥275,062 3.51 1053
IT関連の職業 2.68 ¥282,643 0.87 1386
管理的職業 1.35 ¥405,274 0.16 1390

一応、正社員の給与の低い順番に並べている。これだけを見ると給与が最も低い保安の職業が最も有効求人倍率が高い(=採用が出来ていない)ということなので、給与を上げることで採用できる可能性は増えるだろう。

一方で事務的職業については正社員・非正規社員ともに有効求人倍率が1を下回っている。さぞかしたくさん給与をもらえるのだろうと思いきや、正社員で下から6番目の給与であり・非正規社員でも下から7番目の給与となってる。高くもなく低くもない給与だ。

また正社員の農林漁業の職業と運搬・清掃等の職業についても、事務的職業と同じく有効求人倍率が1を下回っている。にもかかわらず給与は下から2番目と3番目で、高い給与ではない。高い給与を払っていなくても、人材は間に合っている。

逆にIT関連の職業は時給1386円とトップ3で、かつ有効求人倍率が1を下回っている。これは高い給与のおかげで多くの人材が応募してきた、という可能性もあるだろう。

異常に多い事務的職業を希望する求職者の数

給与が高ければ人材不足が解消する、ということが一概には言えないというのが前述した表を見ればわかる。ではもう一つのデータとして求職者数(仕事を求める人の数)と求人数(募集している人数)を見ていこう。

職種 有効求職者数(正社員) 有効求人数(正社員) 有効求職者数(非正規社員 有効求人数(非正規社員
農林漁業の職業 379 295 99 203
保安の職業 691 10,513 365 7,106
建設・採掘の職業 1,175 6,993 129 194
運搬・清掃等の職業 1,656 7,528 10,014 18,234
管理的職業 1,656 2,253 87 14
輸送・機械運転の職業 3,146 9,853 780 2,863
生産工程の職業 4,998 8,926 1,130 2,687
福祉関連の職業 5,842 22,985 3,278 16,241
IT関連の職業 7,997 21,448 1,027 896
サービスの職業 9,375 47,094 6,222 40,416
販売の職業 11,222 33,369 2,739 9,627
専門的・技術的職業 22,944 52,798 6,678 15,288
事務的職業 46,850 25,824 17,182 11,944

そもそもの労働力自体が減っているので、求人数をすべて満たすことは不可能ではあるが、事務的職業を求める人が多いというのは特筆すべき点だろう。なぜ給与が圧倒的に高いわけでもない事務的職業を求める人が多いのか、これがミスマッチの本質ではないだろうか。

つまり事務的職業、この中でも一般職が大半を占めるのだが、一般事務職を目指す人が多いということは専門スキルを持たない人がそれだけ多いという証左ではないだろうか例えばITスキルを持っていればIT関連の職業つくだろうし、管理的職業や専門的・技術的職業を目指す人が多くていいはずだ。給与も事務的職業よりも高いわけなのだから。

職業訓練の充実、ITや機械化、柔軟な働き方がキーワードか

上記は東京の話なので、東京以外の地方ではまた事情は変わってくると思う。とはいえ、労働者が「給料を上げろ」ということ、そして企業側が「人材不足だ」ということ、この2つを解決するためには下記3つの方法がポイントではないだろうか。

  1. 専門的職業訓練の充実
  2. IT・機械化による効率化
  3. 柔軟な働き方を認める

特に個人的には専門的職業訓練の充実が必要だと思う。事務的職業につくためのワード・エクセルなどよりも、ホームページ作成やプログラミング、二級建築士であるとか警備員の基礎、医療系など様々な専門職になるための職業訓練を充実させるべきだ。

そしてITや機械化によって効率化することで、一人あたりの生産性を上げる必要がある。このときもITや機械を使うわけで、専門職が必要になろうと思う。結果的に専門職が求められることになる。

最後には柔軟な働き方を認めることだろう。例えば管理職は正社員が当たり前だが、非正規やその他の働き方も必要かと思う。ITも非正規での働き方をもう少し増やしたほうがいいだろう。正規・非正規ではなく、柔軟に働けるようになれば労働者にとっても企業にとってもハッピーになるはずだ。

結局私が前々から思っている「職業訓練の充実」が最も喫緊の課題だと思う。だが、国でその話が出ることはほとんどない。早急に議論してほしいものだ。

企業や他人が変わることを強制するより、自分自身が幸福になる努力をすべき

別に田端さんを手放しで支持するわけじゃないけれども、個人的には高プロについてはほとんど気にしていない。というか、これを気にしているのは旧リベラルであって、新リベラルの人たちはほとんど話題にしていないというのも過去記事で紹介した。

t-matsumoto.hatenablog.com

高プロを入れたところで大した影響はないと思っている。なぜか。労働者教育が企業へ求める倫理観よりも遅れているからだ。今必要なのは企業へ高い倫理観を持って経営するように法律で縛ることではなく、労働者として自分の権利・利益を守る方法を教えるほうが先だ。

一言でいえば逃げる方法を教えるべきだと思っている。

f:id:outroad:20180604081232j:plain

違法企業は根絶させられるか?

例えば、全く犯罪のない社会を作ることができるだろうか?「犯罪のない社会を作ることができる!」と強く主張する人もまぁいるかもしれない。だが、現実的には犯罪をゼロにすることはできない。とはいえ、犯罪がどんどん起こっていいわけではなく、しっかりと犯罪を減らすための施策は打たなければいけない。

一方、我々は個々人で犯罪から身を護るよう自立的に動いている。例えば

  • 危ない場所には立ち寄らない
  • 怪しい人がいたら距離を取る

女性であれば催涙スプレーやスタンガンを持つなんていう人もいるだろう。お金持ちだったら治安が良いところに住む、子供を私学の小中学校に入れるということをしている家庭も少なくない。

つまり

犯罪を減らすという努力

と同時に

自分自身の身を守るための努力

が必要になる。

これは誰もがわかっていることで今更言うことではないと思う。ただそれが「過労死」や「労働」の話になるとかなり一方的な話になる。過労死が起これば「会社に問題がある」やブラック企業の話になれば「経営者が悪い」というように。そういった会社から身を守るための方法が語られることはほとんどない。

もちろん企業に対して法で不正を縛ることは悪いことじゃないし必要なことだ。しかし個々人の幸福のことを考えれば、もっと我々一人一人が自分自身の身を守るためのことを考えるのも大事なはずだ。労働問題に置いては、このバランスがあまりにも企業側への締め付けに偏りすぎているように思う。

企業は労働者が変えられるものである

また、我々の行動一つ一つによって企業は変わっていく。逆に言えば誰も動かなければ、企業は行動を変えないのだ。

その良い事例が非正規雇用の給与が上がっているという点だ。非正規雇用の給与は3年も続けて伸びている。非正規雇用の給与が伸びている理由の一つが「人手不足」だ。全然応募がない、いい人材が来ないから企業は給与を上げて人材募集を行っている。

www.nikkei.com

一般的に日本では非正規雇用は弱い立場だとされている。しかし、なかなか人材が集まらない、応募してくれないのであれば企業は時給を上げるのだ。時給を上げるだけでなく、週2日から働いてもOKであるとか、1日4時間からOKなど、柔軟な働き方を企業側から提案してきたりする。

本来であれば企業側は労働者に対して強く出れるはずだが、このように人が来なければ下手に出るのだ。労働者の行動によって、企業側は行動を変えるという良い見本だろう。

就職してからが権利を守る戦いの本番だ

先述した事例は新卒採用についてだ。「釣った魚に餌をやらない」という慣用句があるように、一度就職した・雇用した従業員に対して冷たくなるということは多くの企業で見られる。つまり採用されてからが自分自身の権利・利益を守る本当の戦いということだ

採用されてから企業側がもしおかしなことをしてくるようであれば、戦えば良い。労働組合と一緒に戦うのもいいだろう。もし戦うほどの価値もない企業・仕事であれば、退職して転職をすればいい。個々人の幸福を考えれば、やめて他の会社に入るほうが合理的だ。特に今は求職者側の方が強い立場にある人手不足の時代なので、転職もしやすい。

この部分、つまり自分自身で企業と戦うかもしくは企業から逃げるかのどちらかを選択すべきなのだが、その戦い方・逃げ方というのを教えてもらっていないのではないだろうか。真面目に取り組むのは悪いことではないが、過労死するほどまでに真面目に仕事をする必要はないということをもっと周りが支援したほうがいい。

特に労働組合についてはもっと自分たちの責任を感じたほうがいいと思う。過労死の問題が出た時に労働組合としてもっとできることがあったのではないか?過労死が出ないために、もっとできることがあるのではないか?給料を上げることも大事だが、労働者の命を守る手助けをしたほうがいいのではないか。

もちろん労働者側の言い分がおかしければ批判されてしかるべきだ。おかしなことを主張すれば、企業側から更に冷遇されることもあるだろう。例えば「全く何も仕事をしないで金をくれ」みたいな、下記のフミコフミオさんの文章に出てくるような従業員であれば、それは会社側から冷遇されるだろう。

delete-all.hatenablog.com

自分自身の幸福のためには自分は自分で守るべきだ、企業に守ってもらおうと思ってはいけない。もちろん企業側に対して求めていくということもすべきだし、自らが幸福になるための行動はどんどんすべきだろう。日本の労働者はおとなしいと言われることが多いが、おとなしいというよりも企業や国といった「お上」が決めてくれたとおりに動くのが良いと考えている人が多いのかもしれない。

先日、私もある人と話をしたが「企業は労働者の人生の面倒を見ないといけない」と言っていた。その方は労働者側の人だが、企業に面倒を見てもらおう・企業の言うことを聞いていれば人生安泰であるべきだ、と考えている人も少なくないということかもしれない。

まさに下記の田端さんの言う通り「権利の上に眠るものは保護されない」ということなのかもしれないね。

高プロを批判するよりも転職を勧めたり組合が助けたりすべきでは?

高度プロフェッショナル制度、通称「高プロ」に関する法案が可決されることは間違いないということで、旧リベラルな方々がコレに対して反対している。だが、新リベラルからはほとんど反対の声は聞かない。というか、話題にすらしていない。そんなことより受動喫煙防止だったり保育所建設だとか、眼の前の課題の方に集中している。

で、私はどうか?というと、高度プロフェッショナル制度を批判している方々の理論がいまいちよくわからない。そんなことよりももっと大事な、労働者を守るために必要なことがあるのではないか?

過労死認定されなくなることが問題なのか?

例えば上記のBlogで批判されている部分は「過労死認定が困難になる」という点だ。契約上問題がないのだから、24時間働かせていたとしてもそれは過労死認定されなくなるだろうということだ。

これ、どうしてそういう思考になるの?と思うが、そもそも労働契約と過労死は直接的には関係がない。過労死した人たち全員が労働契約違反で働いていたかというとそうではない。例えば下記の記事は元労働基準監督署で働いていた社労士さんのブログだが、36協定で法的に問題がないとしても、損害賠償義務は免れないとしている。

roumu.shlc.jp

これは高プロが入っても同じことだろう。たとえ高プロで認められている働き方で、24時間365日働かせるとしても、それで健康を害して亡くなれば損害賠償義務は免れない。結果的に民事裁判で過労死として判定されることになるわけだ。

なのでこの指摘はまったく見当違いではないかと思う。

そもそも過労死しては意味がない

で、そもそもの話なのだが過労死認定されるんだったら高プロOKなのだろうか?そうではないはずだ。過労で死んでしまったら元も子もない。大事なことはそういった過度な残業・パワハラ・法律違反の仕事を指示する会社で仕事をしないようにすることだ。労働者を守るなら死ぬ前に守るべきだろう。

であるならば、高プロ云々よりも先ず就職する前にその企業のことをしっかりと情報提供するとか、働いたとしてもすぐに転職するように薦めるだとか、自分の身の守り方を労働者が学ぶべきだろう。たとえ死んで過労死判定されても、死んだ人は返ってこないのだから、死ぬ前に対策しなければならない。

労働者保護を考えるのであれば、従業員がいわゆるブラック企業に出会った時にどうすべきか?ということを啓蒙するほうがよっぽど役立つはずだ。もっと言えば必ず労働組合が助けるというのも一つの方法だと思う。そういった地道な活動を行っていかねば、結果的に高プロが導入されてもされなくても、過労・パワハラで亡くなってしまう人は後を絶たないだろう。

高プロのことを議論する暇があるなら、労働者をどうやって守るか?をもっと考えるべきではなかろうか。

教育関係者が第一に考えるのは児童・生徒・学生のことでしょうが

この春からひょんなことで大阪市の短大で授業をさせていただいている。週に1回、2クラスだけではあるけれども、70人くらいの学生に対して情報処理に関するスキルの授業を教えている。ワード・エクセル・パワーポイントや簡単な動画作成・画像加工などについてだ。

若い子たちは未来がある。20歳前後の子供達のために、なんとかしていい人生・生活をしてもらいたいという願いから、自分のできるスキルを教えるようにしている。

しかし残念ながら今回日大のアメフト問題が起こってしまい、私は大変残念に思っている。この事件はすべての教育に関係する大人たちが学生・生徒・児童から不審に思われかねないほどの事件なのだ。

守ってくれない大人を誰が信用する?

内田前監督は日大アメフト部の監督であり、さらに常任理事と言う大学の中枢にいる人物だ。つまりアメフトだけではなく教育に関係することなのだ。教育の中枢にいる人が20歳の若者を突き放す、守らないという態度を示したら、多くの20代前後の学生や生徒はどう思うだろうか?

おそらく私だった「大人はなんて汚いんだ!こんな汚い大人たちを信用しない!」と思うだろう。そうなってしまったらもうおしまいだ。どんなに素晴らしい教師でも、どんなに素晴らしい講師であっても、その言葉が学生・生徒の耳に届かないようになってしまう。

せっかく良い知識・スキル・ノウハウを得るチャンスだったのに、それを学生・生徒は得られなくなる。よい恩師を得られるチャンスだったのに、「日大のように悪い大人なんじゃないか?」と疑ってしまって、信頼関係を築けなくなる…などなど、様々な悪影響が考えられる。

だからこそ教育に関係する人は全員が声を上げないといけない。そういう意味では日大の教職員組合が声を上げたのは良かった。素晴らしい対応だと思った。そうやって大人たちの中にはクズばかりではないというのを示していかなければならないのだ。

第一に考えるのは児童・生徒・学生のこと

今これを書いている時に日大が内田前監督・井上コーチが会見をしているが、全く何をしているのかわからない。我々教育に少しでも関わる人間が第一に考えなければならないことはなんなのか?それは学生・生徒のことだ。学生・生徒のことを何を持ってしても守らないといけない。

にもかかわらず日大学生を守らず、関学学生を守らず、そしてすべての学生からの不信感を募らせてしまった。これは教育者として大変問題だ。

確かに私はアメフトが好きだけれども、アメフト以上に今回は教育が関わっている問題だ。アメフトだけの問題ではない、教育の問題であり日本の若者が生き生きと自信を持って生きていけるかどうかの問題でもある。だからこそ私は久しぶりにイラついているのだ。

すべての教育関係者は何が何でも学生を守るべき、そのために行動すべきだ。今回の記者会見を一つの反面教師として。

酒もタバコもランニングもリストカットもすべて同じ

bunshun.jp

身体的な健康に悪いけれども酒もタバコもやめられないっていう人は多い。タバコはしないけれども、酒については飲むのでよくわかる。

とは言え依存症というほどではないので、酒については飲まないときは飲まない。例えば明日の朝が早い・大事なイベントがあるなどのときは飲まないし、夜に集中して作業したいときにも飲まない。また連日飲み会が続いたりしたら、1~2日は飲まない。今は結石が降りてきているので、痛むときは飲まない。

毎日飲まないとやってられないとか、数時間ですらタバコをやめられないという人は依存症だとは思うが、そうではない人も習慣的にやめられないことは多い。ただ、これは人間の性ではないかと思う。

f:id:outroad:20160622111513j:plain

リストカットとランニングは同じ

やめられないということであれば、アンダーグラウンドな話としてリストカットがある。私も全く理解出来ないが、リストカットをすると安心するという人は多い。女性に多い傾向があるように思うが、脳内では落ち着けるような脳内物質が出ているとのこと。だから落ち着くしやめられない。

www.urraca.jp

またランニングも「ランナーズハイ」という言葉を聞いたことがある人も多いように、走り続けていると苦しさがなくなる瞬間がある。脳内物質が出まくって、疲れを感じないようになるわけだ。これも本質的にはリストカットと似たようなもんだろう。「ランニングをして気持ちがいい」と「リストカットでスッキリする」は脳の動きで言えば似ているようだ。

ちなみにランニングも体にいいのか?といえば良くはない。運動として激しすぎるからだ。だからランニングよりもウォーキングが推奨される。体に良くないという意味ではリストカットもランニングも一緒だ。

タバコも酒も安心を求めている

そして酒もタバコも同じように安心するとかスッキリするとか気分が良くなるとか、そういったことのために行っている。決して健康に良いと思ってやっているわけではない。バーテンダーというマンガには「酒は魂を癒やしてくれる」と紹介されるが、まさにそのような効果を求めている。

健康のために良いことをするというのは確かに身体にとってはいい。身体にとってはいいが、じゃあ魂にとってはいいのか?というとそうではない。たいていあまり美味しくない物を食べないといけないし、適度な運動も必要だ。そして睡眠時間も取らないといけない。

健康のために、身体のためにいいことが必ずしも自分の安心や魂の癒やしにつながるわけではない。ここが人間社会の矛盾点であり、面白い部分でもあるのかなとも思う。健康に良いものを全員が魂の癒やしと感じられるなら、矛盾はなかったのだが人間社会はそううまく行かないようだ。

おそらく隊長はストレスや不安と言ったものが昔に比べて減ったのだろう。そして安心やストレス発散ができる別の物ができたのだろう。たぶん結婚して家族ができたことが大きいのではないか?と感じた。だからウォッカ1本空けることもなくなったのだと思う。

ちなみに俺も明日のためにとか、連続して飲み会が続いたときは飲まないなど、酒を飲まない。それはおそらく「明日の仕事が自分の人生にとって大事」であるとか「明日恋人と遊ぶから、そのために元気でいよう」とかそういう酒やタバコで得られる安心よりも大事なものがあるからではないかと思っている。

人間、健康だけで生きられるものではない。健康を損ねてでも安心や生きがいと言ったものを見つけたいのが人間だと思う。だから酒や煙草、リストカットなど一般的に身体に悪いものの代わりに、安心や生きがいをもっと若い頃に見つけられるようにしておく教育が必要なのかもしれない。

レイトタックルが3回続けて起こるのは指示がなければありえない

アメフトが今、危機的状況に陥っている。日本アメフトが盛り上がるかそれともマイナー競技として十数年続くのか、その分かれ道に来ている。いわゆる日大が関学のQBにレイトタックルを行った問題だ。なんとこのタックルについて、監督は指示をしていないという。

監督・コーチが指示をしていないとなると、選手個人が自分自身で行ったことになるが、明らかにこの説明は論理的に矛盾しているのだ。

f:id:outroad:20180516215058p:plain

勝つことが目標なら論理矛盾する説明

なぜ「反則行為を指示したこと無い」という説明が論理矛盾しているのか?というと、日大も関学も、試合に勝つために全力を尽くしているわけだ。全力で試合を行っていて、1人のプレーヤーが勝手に自分の判断で反則をした。そして15ヤード罰退のペナルティをとられた。

アメフトは極端に言えば10ヤードずつ進んでいく競技だ。4回の攻撃で10ヤード以上進むことができれば、また攻撃をすることができる。それを何度も繰り返し、タッチダウンもしくはキックでゴールを狙う。それで点数を重ねていくわけだ。4回攻撃して10ヤード進めないことなんてよくあるのだが、10ヤード進ませなければ攻撃権が交代する。

つまりこの10ヤードというのはアメフトでは大変大きいのだ。相手チームを有利にするわけだから、このような反則を繰り返していたら勝てるわけない。大学アメフトではペナルティにおける罰退は15ヤードが最大だ。つまりそれだけ自軍が不利になることを行ったのだ。それも3回も。

もし試合に勝つことが目的なら15ヤード罰退などしていたら勝てないのだから、ヘッドコーチやディフェンスコーチからは厳しい叱責を受ける。他の選手と交代させることだってあり得る。しかし日大チームはそれをしなかった。そしてその行為を3回も見逃したのだ。

  1. 監督・コーチが指示をしていない
  2. プレイヤーが勝手に判断して行い
  3. ペナルティが3回も続いた
  4. そしてそれを黙認した

本当に勝利を目指しているのであれば、こんなこと論理的にありえないとわかるだろう。

QBに怪我させることが目的なら論理的

ただそれでも「勝つために我々は努力してきた」と日大が言うのであれば、一つだけ論理的な説明が成り立つ部分がある。それが「QBに怪我をさせること」という目的のために、何度もレイトタックルをして黙認したという考え方だ。

QBはアメフトの要であり、QB次第で大きくチームの強さが変わる。NFLではブレイディという最強のQBがいたことでペイトリオッツはすごく強かった。もしブレイディでなければ、ペイトリオッツはさほど目立つチームにはならなかったと思う。そのくらい重要なポジションなのだ。

なのでスタメンのQBを怪我させることで、控えのQBを出させる。そうすればチーム力が大きく落ちるので、15ヤード罰退だとかラインバッカー1人退場でも、十分お釣りが来ると考えていたのではないか?ということだ。これなら論理的な辻褄が合うのだ。

結局いろいろとスポーツ新聞から漏れ聞こえる話では、全く納得の行く説明ではない。論理的矛盾が発生するのだ。

このままでは、日大とはどのチームも試合をしてくれないだろう。日大アメフト選手がかわいそうである。監督・コーチなど責任者はこの状況を早急に改善すべき義務がある。