ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

世代間の問題と個人間の問題はまた別の問題

togetter.com

ネトウヨと呼ばれる方々、そして保守的な人たちに人気のある高須さんが炎上した。高須院長が若者に「甘ったれるな!私たちの時代は~」とツイートしたことがきっかけだった。正直この辺は保守・リベラル関係なく年齢が高い人、団塊世代以降の人は似た考え方をしているんだろう。

この問題は基本的に世代間格差の問題と個人の問題をごちゃごちゃにしているため、ややこしくなっている。

世代間問題では若者は割りを食っている

まず事実として世代間格差の問題はある。例えば受益と負担について、どの程度の格差があるかを見てみると、60歳以上の世代はプラスだが40代以下はマイナスだ。高齢の人たちが受益者であり、若者が負担者となっているのは紛れもない事実だ。

www.huffingtonpost.jp

もうこれだけを見ても、高齢者世帯と若者の間に大きな格差がある。そのため「私が若い頃は~」という話をしても若者は反発して当たり前だ。あなたの時代と今は違うんだ、と言われてしまうしその反論は至極全うだからだ。

世代内でも格差がある

さらに世代の中にも格差というのは存在する。高須院長の世代でも高須院長はかなりの所得を得ている。平均の数十倍を超えるだろう。一方でホームレスになってしまった人もいれば、施設に入って生活保護という人もいる。生活保護を受給している51%は65歳以上の世帯であるという報道もあるくらいだ。

mainichi.jp

生活保護をもらっている世帯の方々も、頑張ってきた人は多いだろう。しかし今は生活保護をもらう状況になっている。結果的にモーレツに若い頃働いたからといって、確実に高須院長のようになるということはない。

世代間格差もあれば、世代内格差もあるのだ。

世代の話なら間違い、個人の話なら正しい

今回の炎上は世代間での話と個人間での話をごっちゃにしているために、ややこしくなっている。高須院長は「甘ったれるな若者!」と特定の若い人ではなく、若者全体に対して語りかけている。つまり若者世代にもっとがむしゃらに働けと言っているのだ。そうすればいつかはリッチになれると。

これは若者世代全体に言ってしまうと反発されても無理はない。なぜなら上記で紹介したように、若い世代は高齢者を支えるための社会保障に多くのお金を取られている。高須院長は高齢者世代にくくられるわけで、受益が多い世代から負担が多い世代に説教されて気持ちがいい若者はいない。

逆に個人での話ならまったく高須院長の言うことが正しい。裕福になりたいならがむしゃらに努力をすべきだし、必死になるべきだ。必死で働かずに上からお金が降ってくるのを待つのは、意味がないことである。なので「裕福になりたいんです」という個人に対する説教なら正しいのだ。

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がむしゃらに働いて未来はあるのか

今回の始まりは「若者がお金を使わないのは使えるお金が少ないから。経済は停滞し、少ない給与から家賃や水光熱費、奨学金の返済、年金を支払って、どうやって車を買ったり旅行をしたりしろというのか?」という問題提起だ。若者は給与が少ないが、支払うものは多いという現実を表明した投書から発している。

であれば、この話はどちらかというと個人の話というよりも世代間の話だ。この投書をした彼も「お金を使いたい!お金が欲しい!もっと旅行も行きたいし車も欲しい!」という意見ではないだろう。素直に文意を読めば「我々若者は自由にできるお金が無いということを年齢の高い人達も知ってほしい」ということなんだと思う。裕福になりたいとも言ってはいない、理解してほしいがメインだ。

高須院長の言うことも最もではあるが、それは成り上がりたいという個人に対して言うには正しいだろう。ただ、今20代30代ががむしゃらに働いて、裕福になれるのか?という疑問もあるがむしゃらに働けば全員が豊かになれる時代だろうか?今日より明日が経済成長していた時代ではなく、経済停滞している時代である。

もちろんまったく働かない、サボるという話ではない。高須院長が経験したように働けば、今の高須院長のようになれる人がたくさん出てくる可能性もある。とは言え、少なくとも私を含めて多くの若者はそうなれるという希望を持てない状況だ。がむしゃらに努力した先に希望を持てない中でも、がむしゃらに働くべきなのだろうか?

私個人の答えとしては、お金がない中でも楽しむというのも一つの方法だと思う。下記ホリエモンが言うように自分のしたいことをお金があろうとなかろうと、やればいいというのが正しいとも思う。

r25.jp

もちろん大金持ちになりたいなら、大金持ちになるためにがむしゃらに働くこともいいだろう。それも一つの選択肢だ。

今回は高須院長が「がむしゃらに働け!」と言っているが、逆にがむしゃらに働いてきたけれども生活保護になっているという人の話も聞いてみたい。彼らは若者にどういう言葉を投げかけるのだろうか。

支払いはすべて半自動レジにしてほしい理由

なぜそんなに500円玉を渡そうとしないのか、よくわからない意地を貼っている若い女性だが、まぁ正直人間が行動をするといろいろな感情が湧き上がる。喜怒哀楽あるので、そこでこういった500円玉を渡さないとか小銭を文鎮代わりにしてレシートを手のひらに置かれるのがイヤとか、いろいろある。

そこでぜひスーパーもコンビニも飲食店もやってほしいなと思うのが支払いだけ自動の半自動レジだ。私が使う駅の近くのあるスーパーや天王寺にあったスーパーも、この半自動だったが、大変良かった。ぜひすべての支払いを半自動レジにしてほしい。

半自動レジで小銭が最適化される

私が使っている中で感じる半自動レジのメリットの一つは小銭問題だ。それこそまさしく600円の会計に1100円を支払うというものだ。たまに611円の金額のときに1155円支払う事がある。これはこちらの財布に50円玉と5円玉しか無く、10円玉と1円玉がないからだ。

この状態で単純に1000円で支払うと、5円玉が2枚・50円玉が2枚になってしまう。これを避けたいがためにこちらは50円や5円で10円・1円の端数を支払っているのだ。ただ、これは俺のルールであって、店員さんに伝わらないことはよくある。

そこで半自動レジだ。半自動レジはそんなところで疑問を持ったりはしない。粛々と入金された金額と支払額を差し引き、最適なお釣りを出してくれる。極端な話を言えば、財布に入っている小銭を全部入れていいのだ、何も考えずに。そうすれば機械が勝手に判断してくれる。

これはご老人にも優しい。よくスーパーで見かけるのはご老人が小銭を払おうとしているのだが、小銭がよく見えないのか計算が苦手なのか「ここからとって」と店員さんに財布の中を見せて頼んだりすることだ。もしくはめんどくさいからと1000円札や5000円札で支払って、結局小銭がたまるというパターンだ。

こういうご老人も今後半自動レジになればすべての小銭を適当に全部投入してしまえばいいだけだ。で、足りなければお札を入れたらいい。何も考えなくていいのですごく楽だし、小銭も少なくなって軽くなる。おじいさん・おばあさんもやり方さえ覚えればすごくメリットが大きい。

半自動レジは衛生面にも良い

もう一つ、いいなと思うのは飲食店だ。飲食店ではレジでお金を受け渡しする仕事と調理をする仕事を1人でやらないといけないこともある。その場合、お金をつかめば手洗い・消毒が必要になり、何度も手洗い・消毒をしなければならない。

昔私もおにぎり屋でバイトしていたことがあるが、おにぎりを握ってはお金を取扱うということを繰り返していた。しかしこれが半自動レジになれば、お金を店員側が触ることがなくなる。つまり調理だけに集中することができるのだ。調理して後の支払いはすべて半自動レジに任せれば、衛生面も大変プラスになる。

 

このように半自動レジにはメリットが大きい。ただ、レジ以上に故障が多いらしいので、故障対応のスタッフや修理・メンテナンスの研修や外注企業との契約が必要になるだろう。ただ、それを差し引いてでも半自動レジのメリットは大きい。

ぜひ今後はコンビニ・スーパー・飲食店、全てで半自動レジを導入してほしい。

財務省・テレ朝セクハラ騒動でなぜ女性記者を擁護する意見が毛嫌いされているか

まだまだ続くみたいやねこの騒動は。個人的にも大問題だと思ってて、それはセクハラかどうかっていうよりも、報道というものが変化せざるを得ない問題だと思うからだ。もっと言えば報道が変われば我々の知る権利やプライバシー権などが変わってくる。我々一般人の基本的権利に関わるから大問題だと思っている。

しかし今回の事件をセクハラの観点絡みている人たち、例えば野党の面々であるとかリベラルだと言われている人たちだとかの意見というのは、ネット上でかなり毛嫌いされている。セクハラ問題ということで女性の論者のほうが多いように思う。

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一般的なセクハラ問題ではない

まず前提として押さえておかないといけないのは、今回の騒動は一般的なセクハラ事件とはだいぶ毛色が違うということだ

一般的なセクハラであれば、工場長のおじさんが若い20代女性事務員のお尻を事あるごとに触る、「結婚はまだか?」「昨日は彼氏とヤッたのか?」などと聞いてきたりするような事例だ。

今回の件の違うところというのは下記のようなものか。

  • 自ら女性は足を運んでいること
  • 上司にもセクハラ被害を訴えていること
  • セクハラ被害を訴えてはいるが、配置転換や対策を望んでいないこと
  • 報道という特権・権力を持つマスコミであること

というように、一般人が遭遇するセクハラ問題とは全く違う。だからこれを一般論のセクハラ問題として語ること自体が間違いであり、納得できなくなるわけだ。一般人ではありえないシチュエーションなわけだから。

想像とファクトを分けて考えるべき

もう一つ大きな問題があるとしたら、みんな想像を自分勝手に働かせ過ぎだということだ。例えば下記ダイヤモンドの記事ではこのようなことが書かれている。

diamond.jp

レイプ事件でもセクハラ事件でも、被害者の心はデリケートだ。被害の状況を誰かに語ることは非常に苦しくて重い。僕もレイプ被害に遭った女性の話を聞いたことがあるが、その女性はその時のことを思い出しながら話すので、あまりに感情が高ぶり、ワンワン大泣きしてしまい、途中でなにを言っているかわからなくなることが何度もあった。それぐらい、被害の話をする時は感情が乱れる。被害者が被害のことを誰かに話すということは、それほどまでに大変なことなのだ。

というようにセクハラにあったという女性記者の心がまるでPTSDになってしまったかのように、勝手に想像して心配している。女性に優しくするのは悪いことではないが、事実に基づいて考えなければ、間違った結論を導くことになる。

ハフィントンポストが伝えているテレ朝の記者会見では女性記者の精神的状況については下記のように書いてある。

女性社員は精神的に大きなショックを受け、セクハラ行為について事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている。

 精神的に大きなショックは受けてはいる。が、その後に「事実を曖昧にしてはならないという思いを持っている」と来ている。ショックで出社ができなくなっているとか、心療内科に通っているとか、PTSDになっているとか、そういう話ではない。セクハラ行為を報道すべきだと思っているわけだ。

つまり彼女は精神的なショックは受けているが、それ以上に報道すべきだという思いのほうが強く持っているということだ。ちなみにこちらのJcastニュースではサンジャポに出たデーブ・スペクター氏の発言を取り上げているが下記のようにも語っている。

(女性社員は)毎日出社しているとも聞いている。

想像で「女性記者は狂乱するほどの精神的ダメージを受けたに違いない!」などと思うのは勝手だが、それは明らかに結論を歪めることになる。

セクハラを今までどれだけ取り上げてきたか?

もう一つ上記のダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

いま世界では、人権はあらゆるものに優先されるべきことだとされている。しかし、モリカケ問題は人権問題ではない。だから、女性の人権に関わるセクハラは、モリカケ問題より優先されるべきなのだ。

たしかにモリカケ問題はくだらないので、あんなものは取り上げなくていいとは思う。しかし女性の人権に関わるセクハラがモリカケ問題よりも優先されるべきというのであれば、今までどれだけその問題を声を上げて取り上げてきたのか?

ダイヤモンドの記事にはこんなことも書かれている。

 お笑いタレントの柳原可奈子にいたっては最悪だ。4月17日放送のワイドショーで、「私だったら、この流れで『おっぱい触っていい?』て言われたら、「『どこがおっぱいでしょう』とか言って、『それより森友の件どうなっていますか?』って」と語った。これはまるで、セクハラ被害を受けたらお笑いで返せとでも言わんばかりの発言。

 さらに、「切り返し、切り返しを学んで来たので、大変なセクハラだと感じなかった。私は(セクハラに)慣れてきちゃっているのかな?」とまで発言した。セクハラは慣れてはいけない、という基本的なことをなにも理解していない発言だ。女性のこのような認識がレイプやセクハラを横行させる、ということがまったくわかっていない。まさに女の敵は女である。

こんなことはお笑い芸人・テレビの世界では当たり前だし、それで飯を食っている女芸人は山ほどいる。 それが良くないのであれば、どれだけそのことに対して声を上げてきたのか?さまぁ~ず三村が谷澤恵里香の胸をもんだときに声を上げたか?森三中村上がダウンタウン浜田に胸を揉まれたときに声を上げたか?一切していない。

逆に言えばそれで飯を食っている女性芸人・女性タレントをどう思うのか?今回の件で急に「女性の人権が~」と言い出せば、それはダブルスタンダードでしかない。普段から何度も言っているなら信用もされよう。もちろんこれはダイヤモンドの著者だけではない。

男性と女性の公平性の問題

また別の観点から言えば男性と女性の公平性の問題も大きい。今回、池田信夫さんが主張するように「事務次官はセクハラはなかったと否定している」のだ。それにもかかわらず多くの人はすでに「セクハラはあった」と断定して語っている。録音テープは確かに出てきているが、ガンガン編集されている。編集している録音テープに証拠能力があるというなら、いくらでも冤罪を作ることは可能だ。

事実関係がはっきりするまではどちらか一方に肩入れすれば、それは間違った結論を生みかねない。はっきり言えば冤罪を生みかねないのだ。それは痴漢冤罪の事件からいくらでも学んだはずだ。にもかかわらず、今回は事実関係がはっきりしていないのになぜ断定してしまうのか。

news.infoseek.co.jp

また池田さんが批判している江川さんは下記のようなコラムを書かれている。かなり慎重に言葉を選んで書いており、私は悪い印象は持っていない。が、それでも下記の点はいただけないと考えている。

bunshun.jp

 しかし、今回の音声データは、「取材で得た情報」というより、取材の場で受けた被害を記録した証拠である。

 しかも、自社が報じず、放っておけば今後も自他に対する重大な人権侵害が続くと予想される中、その証拠を抱え込むのではなく、事実を世の中に知らしめるために使うことは、被害者の行いとして正当であるばかりでなく、ジャーナリストとしてもまっとうな行為ではないのか。

録音データを週刊誌に売り込むというのは、セクハラを受けていた女性であれば正当な行為だと思う。しかしジャーナリストとしてまっとうな行為か?というとそれは違う。ジャーナリストなら自社で公開するように働きかけるべきだし、そこで上司から拒否されたら、その経緯も含めてすべて公開するように働きかけるべきではないか。

また上記でも紹介したが、この女性記者は自分自身を守ることよりもセクハラ記事を公開することの方に重きをおいている。であれば今回の週刊誌への証拠横流しは「女性として行ったのか」「ジャーナリストとして行ったのか」で質が変わってくる。

女性として自分を守るために行ったのであれば江川さんやダイヤモンドの著者の言う通りだろう。しかしジャーナリストとして行ったのであれば、それは自分自身の承認欲求のためであり「名前を上げたい」という功名心から行ったことになる。もちろんその両方ということもありうるが、その場合は両方のバランスをとって論じられなければならない。

結局どうすればいいわけ?

最終的にこの問題の落とし所はどこになるのだろうか?事務次官は騒動の責任をとって辞任したが、それだけではすまないのだろうか?例えば下記のコラムでもこのセクハラ騒動について取り上げているが、一体どうすればいいのかという解決策は示されていない。

business.nikkeibp.co.jp

今回の騒動で女性記者がどうなればいいというのか、どう扱えばOKなのか?そのあたりの結論がまったくない。「女性はあらゆる面で優遇されるべきと考えているんではないか?」と邪推する人が出てきてもおかしくない。

 

個人的な結論としては、そもそもこの問題はテレビ朝日がこの問題を真正面から取り上げていれば全く問題にならなかったのにもかかわらず、週刊誌に横流ししたということから始まっている。なので今回はテレビ朝日が謝罪、反省し、今後マスコミは自社で取り上げて報道するというジャーナリストとしての挟持を見せてもらえれば、それでいいと思っている。

我々一般のサッカーファンはワールドカップをどう迎えればいいのか

www.asahi.com

サッカー男子日本代表の監督だったハリルホジッチさん、皆さんご存知の通り解任された。意味のわからない理由で解任されたわけだが、最近来日したらしい。そして27日に記者会見をしてくれるということなので、その記者会見で何を言うのか待っている。

とは言えさすがにハリルさんが会見して「やっぱハリルさんで行くわ」というように、解任をなしにするっていうわけにはいかんでしょう。結果的に西野新監督で挑むようになるわけだが、このハリルホジッチさんの電撃解任は納得のいっていない人が多い。私もその1人だ。

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サッカーファンはどう行動すべきか?

そこで思うのが「サッカーファンはどうしたらいいの?」ということだ。ハリルさんがこんな形でやめて、日本代表のサッカーワールドカップをどう応援したらいいのかわからないのだ。まぁ若い子たちはまた渋谷でワーワーするのだろうけれども、あれはサッカーファンと言うかなんだって騒げればいい人たちだろう。

少なくとも私もサッカー日本代表天皇杯くらいはよく見てきている人間だし、会場にも足を何度か運んだことがある。ただ、弾丸ツアーで応援しに行くようなレベルではない。サポーターというレベルではないのだが、そういうファンが一番多いんじゃないかと思う。

テレビで見るのが主流で、スタジアムには数回行ったことがあるというタイプの人間は今回のワールドカップをどうすればいいのだろう?普通にテレビを見て応援すべきなのか、応援しないほうが良いのか、それとも積極的にボイコットすべきなのか…

正直、今回のワールドカップは成績や試合内容なんかよりも、ワールドカップ後どうなるのか?の方がすごく気になっていたりする。

クラブチームや野球では応援ボイコットはある

私はサッカーのクラブチームは特に応援していないが、クラブチームだと応援ボイコットはあるようだ。欧州のクラブだがドルトムントという香川がいたクラブチームでは応援ボイコットが最近行われるかもしれない、という状況にまで行ったそうだ。

www.soccer-king.jp

このようにクラブチームでは応援ボイコットはそこそこ見つかる。ちなみに野球でも私がファンである阪神タイガースでは新庄剛志選手が応援ボイコットを受けたことがある。あのときは私は子供だったがよく覚えている。

つまり応援をボイコットするということはサッカーでも野球でもあるわけで、ファンやサポーターが意思を表明する手段として使われている。なので、今回代表戦もボイコットしたほうがいいのだろうか?と考えたわけだ。

弾丸ツアーにサポーターの方は行くのだろうか

代表戦については調べてみたが応援ボイコットというのは見つからなかったのだが、応援ボイコットするということはありうるのだろうか?サポーターの熱心な方々などは、今回の件をどう捉えて、今回のワールドカップでは何をしようと考えているのだろうか。

私はサポーターと言えないレベルだし、ちょっとしたファンレベルだが、さすがに今回は応援するにもモヤモヤが消えない。こんな時、我々はどうすべきなのだろうか…誰か教えてほしいもんです。

なぜあなたは本を読んでも賢くならないのか

急にこんなことを言い出したのはまぁ理由があってですね、下記のようなツイートを見たからなんですよ。

水道橋博士がこんなことを書いていたのだけれども、どうも自分と違う意見の人に対しての反論としてもっと本を読もうみたいに返しているみたい。

本は読まないよりも読んだほうがいいと俺も思うけれども、本を読んだら賢くなるわけでもない。現に本をたくさん読んでいるけれども賢くないという人は山ほどいる。

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誰の本を読むか?どんな本を読むか?

まず本を読むと言っても誰の本を読むのか?フレーベル館アンパンマンに関する本を読むのか?それとも芸人さんの本を読むのか?学者の本を読むのか評論家の本を読むのか?それだけでも得られるものが全然違ってくる。

例えば保守と言われている人が書いた本を読めば、もちろん保守的なことが書かれている。革新と言われる人たちが書いた本には保守とは真反対のことが書かれている。城繁幸は解雇規制緩和を推進する主張を書いているが、労働組合に近い人が書く本は真逆のことが書かれている。

そしてどんな本を読むか?でも変わる。ビジネス書か学術書か小説かマンガか、何を読むかによっても変わってくる。ビジネス書にも当たり外れがある。結局、本をとりあえず何でも読んでいたら勉強になる、賢くなるというわけではない。

本をどう読むか?前提知識はあるか?

それでも本は数を読んだほうがいいし、漫画だって学べるものはたくさんある。私も大事なことは漫画からたくさん学んできた。が、人によっては私がすごく学べたという本を読んでも「なんで?何が学べたの?」と感じる人も多い。

なぜこのようなことが起こるか?といえば、その一つが前提知識だ。例えば大卒レベルの知識を持っている人がビジネス書を読む場合と中卒レベルの知識しかない人が読む場合、どちらが情報を多く・正しく得られるだろうか?もちろん大卒レベルの知識を持っている人のほうが情報を多く得られるし、正しく得られる。

例えばエセ科学系の本がある。水にありがとうと言えばきれいな結晶ができる、というようなものだ。これを「すごい!」と思うか「科学的にありえない」と思うかは、基礎的なリテラシーによって左右される。すなわち、同じ本を読んでも全く違う感想を持つことになるのだ。

また漢字が読めない、慣用句がわからない、グラフの読み方がわからないという人もいる。そういった人はいくら本を読んだところで基礎的な知識がないので、意味がないし賢くなんてならない。

ファクトすらも捻じ曲げるのに…

最近経営学の勉強会で「ファクトに基づいて経営すべき」というお話を聞いた。全くそのとおりなのだが、世の中にはこのファクトすらも捻じ曲げる人たちが存在する。いわゆる福島原発の事故で多くの死者が出ただとか、甲状腺がんの人が増えたというような噂を信じてしまう人たちがいる。

そしてそれらを丁寧に論証し、ファクトだけで話をしているとしても、それを理解せずに自分に都合よく捻じ曲げたり・無視したりする。結局、ファクトすらもその人達の前には無力なのだ。

なので「本を読めば賢くなる」っていうことは、その条件によるとしか言えないし、たとえ本を読んで賢くなったとしても、その人のイデオロギーの前には無意味なのだ。水道橋博士も本を読みましょうと言っているが、結局本を読んだところで水道橋博士と同じイデオロギーを持たない人とは相容れない。

まぁさすがにリアルではある程度みんな上手に付き合ってるとは思うけどね…

サイレントマジョリティは選挙で思いを晴らす

gendai.ismedia.jp

ドイツで排気ガスがいかにキレイか?より排気ガスの空気中濃度を低くしたほうが良いのではないか?ということで、自動車会社が実験をしたそうだ。猿と人間を使った実験を行い、それに対して動物愛護団体をはじめとして反対の声を上げる人が多くいるそうだ。そしてその声に賛同するように、政治家も実験反対を表明する。

ドイツはどうしてもナチスの毒ガスによる大量殺人の過去があるために、神経質になっているのかもしれない。実際、この実験は別に車の中に閉じ込めて排気ガスを吸わせるというようなものではない。現在の空気中の排気ガス濃度で問題がない、それくらいクリーンだということをアピールするものだ。

賛成派が多い?いえいえ、少ないのです

こういうニュースがあると「ドイツでは環境に厳しい人たちの声が強いんだなー」ということを思うかもしれない。確かにこういった清廉潔白を求める人たちの声というのは大きいのだが、実際に人数は?というとさほど多いわけではないようだ。

いずれにしても、善玉の威力は強く、悪玉になれば、いまや社会的地位を失う危険がある。だから多くの人は、心の中では「何か違う」と思っていても何も言わず、選挙の一票で思いを晴らす。

緑の党の立派なモラルがどんどん政治に適用されていくわりには、緑の党自体の支持率がまるで伸びないのは、そのせいだ。代わりに伸びたのが、「ポピュリスト」で、「反民主主義者」で、「差別主義者」とされている悪玉AfD(ドイツのための選択肢)。

リベラル的な勢力が強いと思いきや、実は選挙を行うと保守派に票が流れるようだ。つまりノイジーマイノリティがデモなどで騒々しいが、実際に民主主義としてはそういった動きを「おかしい」と感じる人が選挙で行動しているということだ。

まさに立派な民主主義と言えよう。

現場はきれいごとでは済まない

president.jp

こちらはプレジデントオンラインだが、同じ方が書かれているコラムだ。上記コラムでは日本で言う「炊き出し」のようなことをしているボランティア団体を取り上げている。昨今の移民受け入れで多くの移民が炊き出しを求めるようになり、列に並ばない・子供を使って勝手に食べ物をとらせる・開始前にドアを突き破るなどの騒動が起こったそうだ。

結果的にこのボランティアに来ていたホームレスの方や低収入にあえぐドイツ人が怖がって来なくなってしまい、活動の目的が果たせなくなってしまった。その後、混乱を避けるために利用者はドイツ国籍に限るとしたのだが、なんと炊き出しの車に「ナチ野郎!」などという侮辱的な言葉が落書きされることになってしまった。

このことから政治家や有力者は「分け隔てしてはいけない」とボランティア側を非難するようになったようだが、「それはおかしい」という一般の声が増えてきて、炊き出しボランティアを養護するようになってきているそうだ。

こちらも最初に上げた話と同じで、政治家や目立つ人たちというのはキレイごとを言う。移民を区別してはいけない、そのとおりだ。しかしそういったキレイごとが言えるのは、現場で苦労をするボランティアや一般の人達がいるからなのだ。現場で実際に騒動に巻き込まれた人はそんな綺麗事を言ってられない。

我々は清廉潔白よりも現場の改善を望んでいる

結局、こういった目立つ「清廉潔白な主張」というのは選挙でひっくり返されるようだ。それはドイツだけではなく、アメリカでトランプ大統領が誕生したことも同じだし、日本で安倍政権が何があっても支持されることに似ている。人間は「清廉潔白」だけでは食っていけないし生きていけないのだ

確かに清廉潔白な主張・理想は必要かもしれない。しかし我々一般人にしてみれば、そのような清廉潔白な主張よりも、今日・明日のゴハンであり、家族や友だちと楽しく過ごす休暇であり、安心して眠れる住居・環境なのではなかろうか。

動物実験を反対するのもいいだろう。しかし動物実験と実験の被験者たちによって、安全でクリーンな乗り物が我々の生活を良くしてくれるであろうことを、我々は知っている。炊き出しのボランティアが怖い移民に囲まれて、どんなに苦労をしているか、我々は想像ができる。

私達一般人は理想が嫌いなわけじゃない。理想よりも現場が大事なのだ。1年後よりも来月が、明日よりも今日が大事なのだ。その気持に気づかなければ、選挙の一票がトランプ大統領に、ドイツではAfDに、日本では安倍首相に送られていくのだ。どの国も先進国は同じ病を抱えているようだ。リベラルという病を。

「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義

「リベラル」という病 奇怪すぎる日本型反知性主義

 

なぜ学習障害の試験だけにルビをふることに反対なのか?

先日、仕事の一環で自閉症啓発週間のシンポジウムに行ってきた。いろいろとママさんたちの話や教授の話を聞いて参考にはなったのだが、一つ気になる部分があった。それがタイトルの「漢字のルビふり」だ。

高校受験・大学受験のときの合理的配慮として「学習障害で漢字がわからないという子供のために、漢字にルビをふる」という例があるようだ。そしてそれが厚生労働省が推奨していると大学教授が紹介してくれた。教授もルビをふることには賛成のようだ。

しかし私は反対だ。それは子どもたちにとってプラスに働くとは考えづらいからだ。

障害グレーゾーンで漢字が苦手な子はどうする?

障害を持つ人達も健常の人と同じように機会を持つことは大事だし、そのために公平性を担保することは社会として行っていくべきだ。それはそのとおりで私も公平であるべきだと思う。ただし、社会的な公平というのは障害を持つ人だけでなく健常の児童にとっても公平であるべきだ

漢字が認識できない学習障害の子供もルビをふれば問題文が読めるようになるので、問題に回答できるようになるだろう。テストのポイントは問題文に答えることであって漢字が読めることではないので、「入学試験の本質」にフォーカスしているとも言える。

であれば、なぜ健常の子供だけは問題文に回答するために漢字を読めなければいけないのか?健常の子供だけ「漢字が読めること」と「問題文に回答すること」の2つのハードルを超えなければならない。もっと言えばグレーゾーンの子供はどうするのか?合理的配慮を受けられないのか?

つまりこのルビをふるということは公平なように見えるが、学習障害を持たない健常の子供・グレーゾーンの子供には公平ではない方法なのだ。やるのであれば、全試験の問題文にルビをふるべきだ、それが公平というものだろう。そうすれば、グレーゾーンの子供も健常の子供も「問題文に回答する」という本質だけに集中することができる。

漢字は社会的障壁なのか?

もう一つ、発達障害のある人には「合理的配慮」を行う事が大事だとされている。合理的配慮というのはその人が苦手としている・できないことをできるようにするためのツールの提供や手助けのことを言う。例えば計算が苦手なら計算機を使えばいいし、文字を書くのが苦手ならキーボードでPCに入力すればいい。

こうやってビジネスの世界では合理的配慮を行えば、周りと遜色なく発達障害の方々は働くことができる。つまり合理的配慮というのは「社会的障壁を取り除くこと」と定義されているのだ。そして漢字にルビをふることも、学習障害の子どもたちにとって合理的配慮だとされている。

しかしよく考えてほしいが、漢字は社会的障壁なのだろうか。漢字があることで意味を捉えやすくなるし、文章の体裁も整えられる。漢字があることで多くの人にとってはプラスになっているわけだ。漢字があること、ルビがないことが本質的な社会的障壁ではないのだ。

本質的な社会的障壁は日本の教育システムにある。画一的な6・3・3のシステムに発達障害の子どもたちが無理やり合わさなければならない、これこそが社会的障壁だろう。そもそも高校なんて義務教育ではないのだから行かなくてもいいし、行くにしても15歳から行かないといけないわけでもない。行けるようになって行けばいいのだ。大学も同じだ。

もちろん社会を動かすことなのだから、簡単な話ではない。しかし日本の画一的な教育システムこそ問題である、という課題を忘れて議論しては子どもたちにとっても社会にとっても良い方向には進まないだろう。

アラサー女子は結婚相談所以外の出会いの場を作らなければ結婚は遠い

http://ry0u3.tumblr.com/post/127904558043/婚活中の34歳女です30歳になったのを契機に婚活始めて4年になります長く婚活しているのでわかってき

ry0u3.tumblr.com

上記TumblrのエントリーがTwitterで流れてきたのだが、結婚相談所・婚活というのはどの程度効果があるのか?ということが気になった。この投稿では結婚相談所に登録してお見合いなどをしても、結局は20代の若い女性にすべてかっさらわれるという経験をしてきているとのこと。

もともと若くてキレイ・可愛い女性というのはモテる。男性も仕事ができてかっこいい男性がモテる。これは結婚相談所の中に入っても同じだ。もしかするとお金を払っている分、より可愛い女性・かっこいい男性にというハードルが高くなるかもしれない。

結婚相談所とお見合いは出会いのきっかけにならない

では結婚相談所というのはどのくらい出会えるものなんだろうか?面白い調査があったので、そちらを参考にしたい。出生動向基本調査というのがあったので、こちらの最新版である2015年の調査を参考にしたい。

未婚から彼氏・彼女を見つかったのは、いったいどういったきっかけがあったのか?というアンケート調査だ。きっかけの割合が多い順に並べると

男性

  1. 学校で
  2. 友人・兄弟姉妹を通じて
  3. 職場や仕事で

女性

  1. 学校で
  2. 職場や仕事で
  3. 友人・兄弟姉妹を通じて

となっている

 

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で、興味深いのは「結婚相談所で」という項目だ。こちらの項目、男性では最下位となっている。女性は下から二番目だが、「見合いで」と0.1ポイント差しかない。つまりこの調査では男性737人中約3人が、女性976人中約5人が結婚相談所を通して相手を見つけているということだ

さて、おそらく婚活をしている女性からしたら「結婚相談所は結婚できない場合の最後の駆け込み寺!」というような考えの人も多いだろう。しかし実際にはこれだけ彼氏・彼女を作ることも難しいのだ。結婚相談所に行けばOK、と考えるのは間違いだと言えるだろう。

また、リクルートブライダル総研の婚活実態調査2017では2016年に結婚した人の11.3%が婚活サービスで相手を見つけているという。婚活サービスを使った事がある人だけに限ると、39.4%の人が結婚に至ったそうだ。そのうち25.3%が結婚相談所を使って結婚に至ったとされている。

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2016年の婚姻数は620,531組で、人数で言えばその倍の約1,240,000人といったところだ(参考)。リクルートブライダル総研の割合を使えば、約124万人のうち約14万人が婚活サービスを使って結婚し、その4分の1である約35,500人が結婚相談所を使って結婚していると推定される。

どうだろうか?かなり少ないと思われたのではなかろうか?

結婚相談所に費やす時間と費用を別に向けるべき

以上の統計やアンケート調査などを見てもわかるように、結婚相談所を利用するというのはさほど効果的な婚活手段ではない、といえるだろう。もっと言えば、別の婚活に力を入れたほうが可能性が高いかと思う。

リクルートブライダル総研の調査から見れば、結婚相談所や恋活サイト・アプリ、婚活パーティーやイベントというのはすごく効果的なように見える。しかし出生動向基本調査から見れば、結婚相談所やお見合いというのは効果が薄い。逆に職場や仕事の中で相手を見つけたり、友人や兄弟姉妹を通じて紹介してもらうほうが確率が高い。学校というのもある。

結婚相談所や婚活というのはお金がかかる。かなりの費用がかかるし、時間も取られる。こちらのブログ「婚活にかかる費用は1年でいくらなの?」によると婚活には年間30万円もかかるらしい。であれば、他の方法を利用したほうがお財布にも優しいし、可能性も高くなるのではなかろうか。

職場や仕事の中で見つけたらお金もかからない。「職場に出会いがない」というのであれば、出会いがありそうな職場に転職することも考えていいだろう。また友人や兄弟姉妹を通じての紹介ならお金はかからない。さらに学校で言えば同窓会に出席するという方法があるだろう。

結婚相談所がだめというわけではないが、そこに多くの時間と手間とお金をかけるのは得策ではない。結婚相談所や婚活はそこそこに、友だちの紹介や職場で相手を見つける方に力をいれるほうが最初に紹介したアラサー女性も結婚確率が高いんじゃないだろうか。