ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

24時間テレビのカウンターとしてのバリバラは新たなポリコレ棒を作りかねない

togetter.com

バリバラ、今年も24時間テレビの裏に当ててきたみたいで、ネット上でも話題になっているよう。なかなか皮肉のきいたコンテンツをたくさん詰め込んでいるようだが、正直それだけ24時間テレビというのが大きな影響力を持っているという証拠でもある。

実際バリバラはなにを言いたいのか?って言うところが不明瞭なところがあるかもしれないが、それは24時間テレビを筆頭に障害者も健常者も同じ人間として扱われたい、と言ったところだろうか。

障害者=感動ポルノの払拭が第一

まず最初に考えられるのが感動ポルノとしての障害者を利用する、ということをやめてほしいということだろう。障害を持っていてそれを乗り越えるために頑張る、ということを見て感動するということをやめれば、バリバラの目標は一つ達成だろう。

24時間テレビを筆頭に、障害者が頑張ることに対して感動するのが当たり前、という考え方が根底にある。これは日本だけではなく海外も同じで、障害を持つ人が表れたら「さぁ、我々にどんな感動を与えてくれるんだ?」と待ち受ける人がほとんどだそうだ。これを感動ポルノと言ったわけだ。

24時間テレビもそれは同じで、頑張る障害者を放送して「ほら、こんなに頑張ってるよ!みんな見て!頑張ってるよ!障害を乗り越えて頑張ってるよ!感動するでしょ??ほら!」と言っているわけだ。

別に障害を持つ人は健常者に感動を分け与える存在として生まれたわけではない。健常者が普通に行っても感動なんてないのであれば、障害者としてもたとえそれが努力の必要なことであっても、当たり前のように感じてほしいというのが本音だろう。

カウンターとして存在し続けていい

バリバラは「バリバラがなくなることがバリバラの願い」と言っており、自らの役目を果たし、放送しなくてよくなる世の中を目指したいとのことだ。気持ちはわかるが、おそらくそれは難しいし、個人的にはカウンターとして存在し続けていいと思うからだ。

なぜならバリバラの主旨に賛同する人もいれば、やっぱり障害を持つ人が頑張っていることに感動する人もまたいるからだ。そして私はその両方の感情自体、間違っているとも思わない。もしバリバラの言うように障害者も健常者と同じように扱う、というのが当たり前になれば、それは新しいポリコレになりかねないからだ

実際、当事者である障害者も24時間テレビに出ている人もいれば、バリバラに出ている人もいる。つまり考え方は人それぞれ、障害を持つ人も感じ方・考え方はそれぞれ違うのだ。だからバリバラの考え方は一つの考え方であって、唯一無二の正しい考え方でもない

だからこそ共存しておくのが最も良いと私は思う。バリバラがなくなって、障害を持つ人で感動した人をバッシングする世の中が正しいとは思わない。両方の意見を尊重する世の中であって欲しい。ので、バリバラも今のまま頑張って欲しいし、24時間テレビも時代の流れを見ながら改善しつつ頑張って欲しい。