ナイスミドルになりたい~松本孝行のブログ~

教育とか雇用とかの社会問題、後は趣味のマンガを中心にしたテーマで書いてます。アゴラや自社サイトにかけないだろうなーっていう話題がメインです。

勉強しないエンジニアは周りにおいていかれる自分を受け入れるべき

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リベラル側の人たちだろうか、上記のブログに反論する人たちが一定数いるようだ。彼らが言うには「プライベートで勉強させるのはサービス残業だ」「就業時間中に勉強するべきだ」なんて言うことを主張している。

まぁ簡単にいえば彼らは周りと自分自身が同じように進みたいと思っているわけだ。同僚の給料が上がれば自分も上がる、同僚が新しい仕事にチャレンジすれば自分もチャレンジする、もちろん後輩が入ってきたら後輩は自分よりもスキルもキャリアも低いのが当たり前で自分を追い抜くことはない。

共産主義とまでは言わないが、昔の日本企業の考え方だ。つまり社会主義的な考え方なのだ。

自分のスキルにあった立場を受け入れる

まずそもそもの話として、上記ブログではサービス残業しろとかプライベートで勉強しろと強制していることは一切ない。内容を読めば「そういう生き方もいいんじゃない?」とプライベートで勉強しないエンジニアの選択を尊重している。勉強しろと言っているわけではないのだ。

ただ、周りのシステムエンジニアプログラマは「就業時間以外で勉強しない」という選択肢を選んではいない。仕事終わりに新しい技術を学んだり、自分自身で本を買ってきて読んだり、勉強会に参加したりと自主的に動くことで、スキルアップしている。

当たり前だけど、週に40時間の仕事中の空いた時間だけに勉強している人と就業時間中以外でも勉強している人が同じ能力なわけ無い。だからどんどん差が開くわけだ。社長さんが「Aさんの要求はこういうことじゃないか?」と下記のように推測しているが、私もそうだろう。

Aさんの要求は、プライベートでは勉強したくない、でもプライベートで勉強している他のエンジニアと同じように成長したいということだったと思われますが、正直こんなこと私に一体どうしろというのか。

プライベートで勉強しない人を排除しているわけではない。会社としてはその人のスキルにあった仕事を与えている。1のスキルを持っているのであれば1の仕事を、5のスキルなら5の仕事を与えるのは当然だ。だから勉強する同僚は5の仕事をして、勉強しないAさんが1の仕事が与えられるのは全くおかしなことではない。

むしろ不思議なのはなぜその結果を受け入れようとしないのか、だ。自分のスキルにあった仕事を受け入れず、他の同僚たちと横並びになりたいっていうのはどういう思考回路なのだろうか。

できる人・できない人の差を受け入れるべし

今回の事例は「プライベートで勉強をする人としない人ではスキル・キャリアに差が出る」という話しではあるが、人間は当然いろいろな差がある。身長の高い人・低い人、太っている人・痩せている人、頭の回転が早い人・遅い人、人付き合いがいい人・悪い人…などなど、違いがあるものだ。

子供の頃であれば「足の早いアイツみたいになりたいな」「カワイイあの子みたいになりたいな」と思うこともあるだろう。当然、大人になっても「あんなに仕事ができるカッコイイ先輩に俺もなりたい!」と思うことはある。

しかし子供と大人では捉え方が違う。子供は「いつかはああなれる!」と盲目的に信じることも多い。しかし大人になれば「俺はああはなれない」と悟るものだ。イチローみたいにはなれないし、マッキンゼーゴールドマン・サックスでは働けないと。

おそらくブログに書かれていたAさんは勉強すればできる人なのだろう。その自負もあるのだと思う。現に入社してから研修を受け、戦力になっているわけだから。だから周りのエンジニアがどんどん成長しているのに自分だけ成長しないことに焦りを抱いているのだと思う。

でもそれは自分の行動の結果なわけだ。勉強する時間を確保しないということを自分で選択したわけだ。なら、その結果に責任を持つのが当然だろう。

トップ選手でも時間を費やす必要性を痛感

たとえ本田圭佑香川真司のようにすごい選手でも、試合以外では練習しないとなれば、プロサッカー選手の中では置いていかれるだろう。本田圭佑は「成功したいなら休日に休むべきではない」と言う。

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まぁ本田圭佑は世界で戦うトッププロなわけだから、一般人と一緒にはできない。しかしそんなプロでも成功するためには、時間を使って練習しないといけないということを感じているわけだ。あの才能の塊の人たちですら、練習に時間を割いているし、より効率を上げる方法を学んだりしている。

才能があろうがなかろうが、後輩に抜かれたくない・同僚と同じように成長したいというのであれば、それなりの勉強時間を割かなければならないだろう。同僚と同じように成長したいけれども、自分は同僚みたいにプライベートでは勉強しないというのであれば、それはおこがましすぎる。

選択肢は2つしか無い。同僚と同じくらい勉強をするか、それともプライベートの時間は勉強せず、同僚に置いていかれる自分を受け入れるかだ。「プライベートの時間は勉強せず、同僚と並んで成長する」という選択肢はない。努力した人が報われる社会であるべきだ。